てんしょう テンシャウ【天正】
戦国時代、
正親町(おおぎまち)・後陽成両天皇の代の
年号。元亀四年(
一五七三)七月二八日に
戦乱のため
改元、天正二〇年(
一五九二)一二月八日に文祿元年となる。
織田信長、
豊臣秀吉の活躍期。
出典は「
文選」に収められる
潘岳の「藉田賦」の「高以
レ下為
レ基、民以
レ食為
レ天、正
二其末
一者端
二其本
一、善
二其後
一者慎
二其先
一」。
てんしょ【天正】
〘名〙 (「てんしょう(天正)」の変化した語)
天正カルタ。また、それを用いてするカルタ賭博
(とばく)。
※
浄瑠璃・傾城阿波の
鳴門(1768)八「
此方も
粋方(すゐはう)の
女房なら、ちっとてんしょでも覚えさうな物ぢゃがな」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「天正」の意味・読み・例文・類語
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てんしょう【天正】
日本の元号(年号)。安土桃山時代の1573年から1592年まで、正親町(おおぎまち)天皇、後陽成(ごようぜい)天皇の代の元号。前元号は元亀(げんき)。次元号は文禄(ぶんろく)。1573年(元亀4)7月28日改元。兵革(戦乱)の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『文選(もんぜん)』『老子(ろうし)』を出典とする命名。天正年間の室町幕府の将軍は足利義昭(よしあき)(15代)。ただし、義昭は1573年(天正1)7月に織田信長(のぶなが)によって京都から追放されたため、将軍として何の実権ももたなかった。天正年間は、織田信長と豊臣秀吉による織豊政権期(安土桃山時代)の大部分を占める。その前半は、反織田勢力による包囲網が破綻し、信長の覇権が確定した時期。1573年(天正1)8月には、朝倉義景(よしかげ)、次いで浅井長政(あざいながまさ)が信長に攻められて自害し、同年12月には松永久秀(ひさひで)が降伏した。武田信玄の死後、武田勝頼(かつより)が信長と徳川家康に敵対していたが、1575年(天正3)に織田・徳川の連合軍に大敗(長篠(ながしの)の戦い)、1578年(天正6)には上杉謙信(けんしん)が死去し、翌1579年(天正7)には天下統一の拠点、安土城の天主が完成している。しかし、1582年(天正10)に本能寺の変が起こって信長が死去し、覇業は豊臣秀吉が引き継いだ。1590年(天正18)の小田原の役で北条氏直(うじなお)が降伏したことで、秀吉は実質的に天下統一を達成した。この間の1586年(天正14)、正親町天皇は皇孫の後陽成天皇に譲位した。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報