ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴルチャコフ」の意味・わかりやすい解説
ゴルチャコフ
Gorchakov, Nikolai Mikhailovich
[没]1958.8.28.
ソ連の演出家。モスクワ芸術座に所属し,K.スタニスラフスキーの指導を受け,『知恵ゆえの悲しみ』 (1925) ,『悪口学校』 (40) ,『森は生きている』 (48) など多くの作品を演出した。その著書『モスクワ芸術座の演劇修業』 Rezhissërskie uroki K. S. Stanislavskogo (50) は,助手としてスタニスラフスキーの演出に関係した際の,『フィガロの結婚』『装甲列車 14-69』など 10あまりの作品についての詳細な演出記録である。その他『演出についての対話』 Besedy o rezhissëre (41) ,『ワフタンゴフの演出課程』 Rezhissërskie uroki Vakhtangova (57) などの著述がある。
ゴルチャコフ
Gorchakov, Aleksandr Mikhailovich
[没]1883.3.11. バーデンバーデン
ロシアの政治家,外交官。 1820~22年神聖同盟の諸会議で K.V.ネッセルローデを補佐したあと,外交官としてロンドン,ローマ,ベルリン,ウィーンなどに勤務。特にウィーンでは,クリミア戦争終結に向けて巧みな外交手腕を発揮した。 56~82年外相に就任し,ツァーリズムの積極外交を指導。当初フランスとの連合政策をとったが,63年のポーランド問題を契機にプロシアとの接近策に転換。 70~71年フランスに対するプロシアの勝利後,パリ条約 (56) を破棄して黒海に艦隊を設け,73年にはプロシア,オーストリアとの間に「三帝同盟」を結んだ。 78年ベルリン会議において,ロシアの利益を十分に守ることができず,影響力を失った。
ゴルチャコフ
Gorchakov, Mikhail Dmitrievich
[没]1861.5.30. ワルシャワ
ロシアの貴族,軍人。 A.M.ゴルチャコフの兄。 1807年軍隊に入り,祖国 (ナポレオン) 戦争 (1812~15) ,露土戦争 (28~29) ,ポーランド独立革命の鎮圧 (30~31) に従軍,武勲をあげる。 46年ワルシャワ軍務総督に就任,49年ハンガリー独立運動に干渉軍を率いて介入。クリミア戦争 (53~56) では,A.S.メンシコフの率いるロシア軍の敗北が濃厚になった 55年,代って総司令官となり,セバストーポリ要塞の総攻撃を支える。戦後 56年ポーランド総督。
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