神聖同盟(読み)シンセイドウメイ(英語表記)Heilige Allianz[ドイツ]

デジタル大辞泉 「神聖同盟」の意味・読み・例文・類語

しんせい‐どうめい【神聖同盟】

1815年、ウィーン会議ののちにロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱により、ロシア・オーストリアプロイセン3国の君主の間で結ばれた同盟。キリスト教の正義・博愛・平和の原則に基づく相互協力・平和維持をうたい、ウィーン体制の維持を目的とした。のちには、イギリス国王ローマ教皇トルコ皇帝を除く、ヨーロッパの全君主が加入した。

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精選版 日本国語大辞典 「神聖同盟」の意味・読み・例文・類語

しんせい‐どうめい【神聖同盟】

一八一五年ウィーン会議直後、ロシア皇帝アレクサンドル一世の提唱で、プロイセン・オーストリア・ロシアの間に結ばれた同盟。キリスト教の正義・友愛・平和の原則に基づき、相互協力・平和維持を図ろうとする君主間の盟約。本来の趣旨はフランス革命をきっかけとしてヨーロッパ全土に起った自由主義運動の弾圧にあった。のちヨーロッパの全君主(イギリス王・ローマ教皇・トルコ皇帝を除く)が加入。実際的な政治効果はなかったが、反動的なウィーン体制を維持する道具とされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「神聖同盟」の意味・わかりやすい解説

神聖同盟 (しんせいどうめい)
Heilige Allianz[ドイツ]

ウィーン会議後の1815年9月26日,ロシア皇帝アレクサンドル1世,オーストリア皇帝フランツ1世,プロイセン国王フリードリヒウィルヘルム3世がパリにおいて結んだ盟約。それはキリスト教を王制的政治秩序の基礎におき,統一的国民国家を志向するブルジョア的変革に権力的に対応するために,全ヨーロッパの王制に加盟を呼びかけたものであった。しかしそれを主導したアレクサンドル1世はセンチメンタルな宗教的夢想家で,フランツ1世もまた同時代人によって愚鈍の人とされており,彼らの盟約自体は拘束力も実効力もなく,条約としての体をなしてはいなかった。とはいえ次の年イギリス国王,ローマ教皇をのぞくほとんどすべてのヨーロッパ王侯がそれに参加し,神聖同盟の執行機関としてロシア,イギリス,オーストリア,プロイセンのあいだに〈四国同盟〉が成立し,1818年にはフランスも加わって五大国支配の〈ペンタルヒーPentarchie体制〉ができあがった(五国同盟)。加盟諸国の皇帝および王侯はそれぞれの宰相を加えて1818年秋アーヘン会議を開き,とくにドイツにおけるブルジョア的かつ民族的な反体制運動に対する弾圧措置を審議し,カールスバート決議をとおして〈デマゴーグ(扇動者)〉追及の警察網を強化した。さらに20年11月のトロッパウTroppau(現,オパバ)会議,21年1月のライバハLaibach(現,リュブリャナ)会議では,イタリアのブルジョア的変革に対する軍事干渉,ギリシアの民族解放闘争を抑圧するオスマン・トルコに対する間接的支援が決議された。神聖同盟最後の会議である22年のベローナ会議では,スペインのブルジョア革命弾圧の任がフランスにゆだねられた。しかしベローナではイギリスが離反し,またフランスの七月革命の新しい波を受けて神聖同盟の影響力は失われ,そのワルシャワ蜂起(1830)後のポーランド分割問題にあたって同盟が立て直されたものの,ヨーロッパにおけるその歴史的役割は終わった。
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百科事典マイペディア 「神聖同盟」の意味・わかりやすい解説

神聖同盟【しんせいどうめい】

ウィーン会議後の1815年ロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱でロシア・オーストリア・プロイセン3国君主間で結ばれ,後に英国・オスマン帝国・ローマ教皇を除く全ヨーロッパの君主が加わった同盟。四国同盟はその執行機関の意味を持っていた。キリスト教精神に基づき,諸君主が兄弟のごとく協力して永遠の平和を保つべきことを定めたものだが,実際にはウィーン体制の維持・強化と革命運動弾圧のために利用された。
→関連項目フランツ[2世]フリードリヒ・ウィルヘルム[3世]メッテルニヒ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神聖同盟」の意味・わかりやすい解説

神聖同盟
しんせいどうめい
Heilige Allianz ドイツ語

1815年9月26日、ロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱で結成された同盟。その趣旨は、キリスト教に基づく君主間の友愛と君主の臣民への慈愛によりヨーロッパの平和を維持しようという非現実的なものであったが、まずプロイセン、オーストリアの、ついでローマ教皇とイギリス、トルコを除くヨーロッパの全君主が参加した。メッテルニヒはこれを「無意味な声高いおしゃべり」としながらも四国同盟(のち五国同盟)とともにウィーン体制護持の機関とし、18年アーヘン会議でドイツ自由主義運動弾圧を、トロッパウとライバハの会議(1820、21)でイタリア革命運動へのオーストリアの武力干渉、ベローナ会議(1822)でスペイン革命運動へのフランスの武力干渉を決議させ、各国の自由主義、民族運動を弾圧していった。しかし、モンロー宣言と中南米諸国の独立により打撃を受け、ついでギリシア独立をめぐる諸国の利害の衝突により、1825年全ヨーロッパ的体制としての同盟は崩壊した。

[岡崎勝世]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「神聖同盟」の解説

神聖同盟(しんせいどうめい)
Holy Alliance

ウィーン会議を契機として,1815年9月26日にロシア皇帝,オーストリア皇帝,プロイセン王の3人の間に結ばれた同盟。ロシア皇帝アレクサンドル1世の提議によるもので,キリスト教の正義と愛と平和の原則にもとづいて,3国の君主が互いに兄弟のごとく協力することを内容とする。したがって,これは元来抽象的・理想主義的な君主間の盟約であり,やがて,イギリス王,ローマ教皇,トルコ皇帝を除く,ヨーロッパのすべての君主が加入することになった。だが,この抽象的盟約のかげで,ウィーン体制を維持し,現状変革運動を抑圧するための反動政策がしだいに強化されたのである。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神聖同盟」の意味・わかりやすい解説

神聖同盟
しんせいどうめい
Holy Alliance

ウィーン会議の結果,ヨーロッパに形成された復古体制のもとで,1815年9月 26日にロシア皇帝,オーストリア皇帝,プロシア王の間に結ばれた同盟。ロシア皇帝アレクサンドル1世の提議により,キリスト教の正義と愛と平和の理念に基づく協力をうたったもので,やがてイギリス王,ローマ教皇,トルコ皇帝以外の君主がみなこれに加わった。 1848年の諸革命で復古体制が崩壊するまで,この同盟は自由主義・国民主義運動に対する抑圧を理念的に支える力となった。

神聖同盟
しんせいどうめい
Sacred Union

1990年4月ザイール (現コンゴ民主共和国) のモブツ大統領が複数政党制への移行声明をしたのち,反政府勢力が結成した同盟。 91年8月同盟の要求で国民会議が開催されたが混乱となり中断された。9月には首都で暴動が勃発し,事態の収拾のためモブツは社会進歩民主連合党 (UDPS) のチセケディ党首を首相に任命した。その後首相と大統領は対立し,モブツは首相の解任,任命を繰返し,国民議会に対しても同様に再開,閉鎖を繰返した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「神聖同盟」の解説

神聖同盟
しんせいどうめい
Holy Alliance

ウィーン会議後の1815年9月26日,ロシア皇帝アレクサンドル1世の主唱によって,ロシア・プロイセン・オーストリアをはじめ,全ヨーロッパの君主間に結ばれた同盟
イギリス・オスマン帝国・ローマ教皇は不参加。キリスト教の友愛・正義・平和の精神にのっとり,ナポレオン戦争後の平和維持をはかろうとする崇高な理想を掲げたが,メッテルニヒは四国同盟とともに,ウィーン体制の維持や,自由主義・国民主義運動抑圧の道具に利用した。

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