鷺巣村(読み)さぎすむら

日本歴史地名大系 「鷺巣村」の解説

鷺巣村
さぎすむら

[現在地名]三股町宮村みやむら

寺柱てらばしら村の西に位置する。村名について、享禄元年(一五二八)新納忠勝が伊東氏と戦った際、地内の小鷹原こたかばるの谷迫に水を湛えて作り物の鷺を据え、伏兵をもって伊東勢を深沢に誘い込んで勝利を得たことにちなむとの伝承がある(庄内地理志)。江戸時代は都城五口六外城の一つ来住らいじゆう口に含まれ、鹿児島藩都城島津家領。安政五年(一八五八)書写の他方人問答記并都城諸事記(天長寺文書)には大鷺巣おおさぎす村・小鷺巣村として記される。前述の享禄元年の合戦について、「庄内平治記」に「小鷹原東方鷺巣村の内ニ首塚有リ、新納兵の首級葬処」とみえる。応永四年(一三九七)一二月一九日の大鷺巣歳大明神(現御年神社)の棟札(庄内地理志)によれば、吉田光家が同社の修造を行ったことが知られ、永正一三年(一五一六)一二月二日の大鷺巣若宮八幡宮(明治六年御年神社に合祀)の棟札(同書)には北郷忠相・忠親が若宮八幡宮を修造したことがみえる。

鷺巣村
さぎのすむら

[現在地名]長岡市鷺巣町

南蛮なんばん(四六三メートル)の裾が西の平野部に接する先端に位置する。摂田屋せつたや村からの村松むらまつ往来が当村で突当り、山麓沿いを南方に上ると村松村に至る。北方に山沿い道をたどれば町田土倉まちだつちぐら村・青木高畑あおきたかばたけ村へ通じる。口碑では横枕と青木の間の田の中にあったとするが、定正じようしよう院が開山される明応六年(一四九七)頃から現在地に集落が移ったらしい。天正村名考(温古之栞)では「鷺の巣七軒」と伝える。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に村名がみえ、高四八石九斗。

鷺巣村
さぎすむら

[現在地名]作東町鷺巣

粟井中あわいなか村の東に位置し、東は五名ごみよう村。時期は未詳だが粟井中村から分村したという(東作誌)正保郷帳に村名がみえ、田一三八石・畑四三石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高五九石余・開高一〇石余、村位は下。津山藩森氏断絶後は幕府領、延享四年(一七四七)常陸土浦藩領、寛政二年(一七九〇)幕府領、天保九年(一八三八)津山藩領(「美作国郷村支配記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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