庄内地理志(読み)しようないちりし

日本歴史地名大系 「庄内地理志」の解説

庄内地理志
しようないちりし

一一三巻

分類 地誌

原本 都城島津家

写本 東京大学史料編纂(五〇冊)など

構成 巻一―三(凡例・索引・目次)、巻四―一〇五(五口六外城の各論)、巻一〇六―一一二(付録)、巻一一三(拾遺)

解説 鹿児島藩における名勝志や地誌の編纂はすでに元禄期から着手されていた節があるが、一つの原型となったのは寛政期の再撰志を基礎とした文化三年の「薩藩名勝志」であろう。その間の事情は「大崎名勝志」に詳しいが、本書編纂は寛政一〇年九月三日記録奉行本郷良之進・重信弥一郎、同稽古神田橋新左衛門・河合正八郎らが庄内旧伝編集方に任ぜられたことに始まる。そのおり筆取として荒川佐長が任命されたことは実質的な編集者を得た意味で重要である。佐長は記録が残されている限りほとんど毎日役所へ出勤している。「庄内地理志」編纂の直接のきっかけとなったのは、鹿児島藩名勝志再撰方掛町奉行橋口今彦の名勝志作成の指示であった。名勝志糺方案文は調査項目・調査方法・記録作成の要領など二〇ヵ条からなるが、各郷から上進された史料を「庄内地理志」として編集したのは荒川秀山(佐長の子)・久保田伊兵衛・大河原隆作・長峯篤隠・伊知地某・福留某らであったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報