高野寺(読み)たかのでら

精選版 日本国語大辞典 「高野寺」の意味・読み・例文・類語

たかの‐でら【高野寺】

奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山、西大寺の別称開創称徳(孝謙)天皇の名、高野姫尊(高野天皇とも)にちなむ。

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日本歴史地名大系 「高野寺」の解説

高野寺
こうやじ

[現在地名]函館市住吉町

西は函館山、南は津軽海峡を望む平坦地にある。高野山真言宗、北南山と号し、本尊大日如来。総本山京都智積ちしやく院から布教派遣されていた照明しようみよう(現新潟県寺泊町)住職佐伯本弘が明治一六年(一八八三)七月当地の有力者と一寺院建立を協議したのに始まる。同年九月には大本山高野山金剛峯寺座主獅岳快猛が渡島巡錫しており、建立願が早速許可となり、翌一七年北南山教王院高野寺を号し、東川ひがしかわ町に仮堂を設立した。

高野寺
たかのじ

[現在地名]温泉津町井田

井尻いじり川北岸の台地にあり、醍醐味山と号し、真言宗御室派。本尊聖観音。創建年代は不詳だが空海草創伝承をもつ。貞治四年(一三六五)五月六日の山名義理奉書(閥閲録)に「高野院」とみえ、院主伊予房が地頭井尻八郎太郎に夜討をかけ、雑物を押取っており、これを訴えた井尻氏の本知行が認められた。永和四年(一三七八)一二月一三日、高野寺の免田を除いて井尻千代松丸の井尻村地頭職が安堵されている(「荒川道恵安堵状写」同書)。応永の乱後、邇摩分郡知行を始めた国清寺殿(大内盛見)の時期に、大内氏の氏寺氷上山興隆こうりゆう(現山口市)末寺として組込まれ(文明一一年二月一三日「大内政弘裁許状」興隆寺文書)邇摩郡における信仰の中心、さらには石見国内における信仰の拠点として位置づけられ勢力を拡大した。

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世界大百科事典(旧版)内の高野寺の言及

【西大寺】より

…奈良市西大寺芝町にある真言律宗の本山。高野寺(たかのでら)ともいう。南都七大寺・十五大寺の一つ。…

※「高野寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」