はこだて【函館】
[一] (戦国時代、領主河野政道が築いた館の形が箱に似ているところから呼ばれたと伝えられる。箱館と書かれていたが、明治二年(
一八六九)箱館戦争後、現在の表記に改められた) 北海道南西部の
地名。渡島
(おしま)半島の
南部にあり、
津軽海峡を隔てて青森県に対する。寛保元年(
一七四一)
松前藩の番所が置かれて以来、
港町として急速に発展。のち
幕府の
直轄地となり、箱館奉行が置かれた。青森と結ぶ青函連絡航路の発着地として知られたが、
青函トンネルの
開通に伴い、連絡船は昭和六三年(
一九八八)廃止。北海道の玄関口にあたる。また、かつては
北洋漁業の
基地として栄え、現在も水産加工・
造船などの工業が盛ん。大正一一年(
一九二二)
市制。
[二] 明治一五年(
一八八二)
開拓使の廃止により北海道に設置された三県の一つ。
渡島国と
後志(しりべし)・
胆振(いぶり)国の一部とを管轄した。同一九年北海道庁に統合。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
函館
はこだて
北海道渡島 (おしま) 半島南部,津軽海峡に面する商工業都市
1869年以前は「箱館」と書く。江戸時代に松前藩が置かれ,その支配と幕府の箱館奉行所支配との時期があったが,1854年日米和親条約による開港の翌年から幕府直轄領となった。戊辰 (ぼしん) 戦争の際,榎本武揚 (えのもとたけあき) が五稜郭に籠城して官軍に抵抗した(五稜郭の戦い)。1922年市制施行。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
デジタル大辞泉
「函館」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
函館
はこだて
明治二年(一八六九)から同三二年までの地名で、近世の箱館町を継承する函館市街の総称名。明治二年八月の北海道国郡制定で、箱館町は渡島国亀田郡に属した。同年九月二五日開拓使二代長官東久世通禧は、イギリス商船テールス号で箱館湊に入港、同月三〇日には箱館府(箱館県)裁判所を開拓使出張所と改称した。この時、箱館の用字を函館と改めている。ただし明治九年四月の伺書(公文録)によると、この時点で開拓使函館支庁では函館の用字に統一しているが、他官省からの文書や「太政官日誌」などでは箱館の混用があることが指摘されており、開拓使東京出張所は改めて函館の用字が正しいことを確認している。当地の開拓使出張所は明治四年の開拓使庁の札幌庁舎移転を機に、同年五月に函館出張開拓使庁と改め、翌五年九月には函館支庁と改称している。
明治四年の函館の戸口は三千五二五戸、一万五千四五人、うち男七千一九三・女七千八五二(明治四年渡島統計)。近世末期の箱館での戸口把握は人別改を基に行われ、その際の区画は、大町・内澗町・弁天町・地蔵町・大黒町・山ノ上町・尻沢辺町・
澗町・仲町・神明町の一〇町が基本で、これに統計上では一町として扱われることもある大工町を加えた一一町が公的に認められた町であった。史料にはこの一一町以外の天神町・梅ヶ枝町・花谷町・芝居町・茶屋町など多くの町名が確認されるが、これらは小名とされた町で(「蝦夷日誌」一編)、町に準ずるものとの位置付けであった。明治四年四月に公布された戸籍法に基づく戸籍区の設定は、北海道では函館市街が先行、同五年二月に戸籍区三区を設定(のち小区を導入して大小区とする)、それまでの大年寄・中年寄・町代を廃止して、戸長・副戸長とした。この折戸籍区の第一区は函館山の裾を巡る地区とし、常盤町・茶屋町・鍛冶町・三町代地・会所町・尻沢辺町・寺町・芝居町・坂町・駒止町・山背泊町・上大工町・花谷町・片町・弁天町代地・台町・代地竪通・下大工町・天神町・梅ヶ枝町・山ノ上町・大町上通・上新町・下新町・神明横町・新天神町・浜町の二七町を設定、第二区は弁天町から内澗町までの海岸線とその裏町(大黒町ほか)の地区で、
澗町・鰭横町・弁天町・西浜町・大黒町・大町・仲浜町・内澗町・東浜町・神明町・仲町・喜楽町・七軒町の一三町を設定、第三区は地蔵町から北東へ広がる新興地区で、地蔵町・鶴岡町・一本木町・豊川町・龍神町・西川町・蓬莱町・古築島町・蔵前通・大森町・東川町・亀若町・恵比須町の一三町を設定した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報