馬場館跡(読み)ばんばたてあと

日本歴史地名大系 「馬場館跡」の解説

馬場館跡
ばんばたてあと

[現在地名]村松町石曾根 馬場

早出はいで川の形成した愛宕原あたごはら扇状地末端に位置し、馬場集落の西側にある。東西約一一〇メートル、南北約一二〇メートルの方形で、南側に現在も土塁を残す。明治二三年(一八九〇)の土地更正図から、この土塁の外側には幅約一〇メートルの堀がめぐらされていたと推定される。現在は南側の部分にさかさ川が土塁を縁どるように流れる。館跡の南に元町もとまち本町ほんちよう古町ふるまち今町いままち、北にまちの小名地名があり、館を中心とした集落があったと考えられる。東側の早出川旧河道にあたる高内たかね門後もんご付近には、かつての河港とみられるところがあり、交通でも北蒲原と会津方面の分岐点であった。

馬場館跡
ばんばやかたあと

[現在地名]荒川町金屋 宮分

あら川下流の左岸、大規模な自然堤防上の金屋かなや集落に位置する中世館跡。金屋地内の通称馬場の地にあり、同所を嘉元二年(一三〇四)七月一八日の左衛門尉宗経・同盛房連署請文写(山形大学所蔵中条家文書)にみえる「馬場」の地にあてる説がある。平成一四年(二〇〇二)遺跡保存を目的に、遺構と遺跡範囲の確認調査が荒川町教育委員会によって実施された。

馬場館跡
ばばだてあと

[現在地名]南部町小向 馬場

小向こむかい西南の馬場にあり、馬淵まべち川左岸に臨む丘陵地に位置する。東は馬淵川に面し、西は山地に続き、北は猿辺さるべ川に面する低地、南は馬淵川左岸沿いの段丘低地である。北の低地との比高約三〇メートル。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「馬場館」とあり、天正六年(一五七八)南部信直が築城し、当時馬場市右衛門が居館していたとされる。「奥羽永慶軍記」などに信直が一時在城したことが記されており、南部一族の居城の一とみられるが、天正二〇年の諸城破却書上や慶長三年(一五九八)の館持支配帳にみえず、それ以前に廃棄されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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