村松町(読み)むらまつまち

日本歴史地名大系 「村松町」の解説

村松町
むらまつまち

[現在地名]村松町村松

滝谷たきや川の扇状地末端に築城された村松城の東側に形成された城下町。町を北東から南西に若松街道と下田しただ(現南蒲原郡下田村)・栃尾方面とを結ぶ道が通る。本堂医王いおう寺の由緒書には文禄五年(一五九六)春に「仲町清三郎方より失火」とあるが不詳。町の建設は正保元年(一六四四)堀直吉が村松藩主として入封した後に始まる。「中蒲原郡誌」によると、先発隊の堀玄蕃は安出やすいで村、宇佐美甚兵衛は蛭野ひるの村、大野金左衛門は東石曾根ひがしいしぞね若宮わかみや、野瀬右近は大口おおくち村にそれぞれ分散して城郭や町づくりに当たった。大手門より北東部をしも町、南西部を上町として町方の居住区に定め、大手より北西部をまるうちとして士分屋敷町にした。軽輩の者を市街地の東西に分けてひがし丁・西丁とし、城の南面に出丸として正円しようえん寺をはじめ各寺社を集めて一区画(現在の寺町)をつくったという。宝暦―明和(一七五一―七二)頃の御門内家中屋敷図(村松町史)によると、搦手門の外側に、搦手通り外・桐林きりばやし通り・六軒ろつけん丁・四ッ屋よつや町・しん丁があり、士卒屋敷が混在する。

村松町
むらまつまち

面積:二五三・一五平方キロ

郡の南東部を占める。東は日本平にほんだいら(一〇八一・一メートル)を中心とする稜線で東蒲原郡上川かみかわ村、南は矢筈やはず(一二五七・五メートル)を中心に南蒲原郡下田しただ村、南西ははく(一〇一二・四メートル)を中心に加茂市、西は南蒲原郡田上たがみ町、北は五泉市・東蒲原郡三川みかわ村と接する。町域の東半はほとんど標高一〇〇〇メートル級の山地で、ここから北西に流れる早出はいで川がつくった扇状地および南の白山から流れる早出川支流の仙見せんみ川や滝谷たきや川・能代のうだい川などの小河川の氾濫によって北側に平地をなす。道は村松市街地を中心に北東は若松街道へ、南西は加茂・下田方面に至る道(現国道二九〇号)と早出川筋を遡上し沼越ぬまこし峠越で若松街道と結ばれる山間の道、五泉へ直線状に結ばれる道が延びる。

村松町
むらまつちよう

[現在地名]中央区東日本橋ひがしにほんばし二―三丁目

西はたちばな町一丁目、北は橘町二―三丁目、南を武家地、東を横山同朋よこやまどうぼう町に囲まれた東西に細長い片側町。もともと西本願寺別院(現本願寺築地別院)の寺内町ないし門前町として名主村松源六により開かれたことから村松町と称され、かつては久松ひさまつ町・若松わかまつ町も当町の一部だったという(東京府志料)。明暦三年(一六五七)の大火後に西本願寺が移転して、寛文新板江戸絵図などでは越前福井藩松平氏屋敷となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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