錦部郷(読み)にしごりごう

日本歴史地名大系 「錦部郷」の解説

錦部郷
にしごりごう

和名抄」高山寺本は「迩之古利」、刊本は「尓之古利」と訓ず。錦織とも記す。

寛平八年(八九六)四月一三日付の「応許耕作鴨河堤辺東西水陸田廿二町百九十五歩事」という事書をもつ太政官符(類聚三代格)に「錦織郷百姓」とみえ、「鴨河」の東西に本郷がまたがるものであることがうかがえる。賀茂別雷かもわけいかずち神社(上賀茂神社、現北区)に近いこともあって平安時代中期には同社領となっており(「寛仁二年一一月二五日付太政官符」類聚符宣抄)、同時に賀茂かも郷・小野おの郷・大野おおの郷も施入されている。

錦部郷
にしごりごう

「和名抄」にみえるが、諸本ともに訓注はない。同名郷は山城国愛宕郡・近江国滋賀郡などにもあり、後者に「迩之古利」(高山寺本)、「尓之古利」(東急本)の訓注がある。本来は清音で、当郷の遺称地と考えられる西郡村(現八尾市)も「にしこおり」という。錦部(錦織)連の居住地であったのでこの地名を生じたのであろう。郷の範囲は西郡村を中心とし、その南の萱振かやふり(現同上)、北方の若江わかえ村・上若江村・下若江村(現東大阪市)を含む地域であろう。

錦部郷
にしこりごう

大友おおとも郷の南に位置し、南東方は古市ふるち郷。現大津市の錦織にしこおり地区とその周辺に比定される。訓は「和名抄」高山寺本は「迩之古利」(ニシコリ)、東急本は「尓之古利」とする。現在は錦織と書くが、古代郷としては錦部の表記しかみられない。ニシコリはニシキオリのつづまったもので、錦織に携わる部民が居住したところから生じた地名・郷名であろう。

錦部郷
にしごりごう

「和名抄」にはこの郷名はみえない。元慶七年(八八三)九月一五日の観心寺勘録縁起資財帳(観心寺文書)に「錦部郡錦部郷高向村」とある。またこの資財帳にみえる高向たこう地一町五反の四至のうちに「北限道并錦部寺栗林」とみえる(→百済郷。錦部寺は錦部氏の氏寺と思われるが、その寺は錦部氏の本拠地にあったと解せられ、それが高向の地(現河内長野市の中心部から西南約三キロにある)の北にあったのだから、錦部郷の中心地は現河内長野市の市街地の付近と考えられる。

錦部郷
にしこりごう

「和名抄」高山寺本は「迩之古利」(ニシコリ)、東急本は「尓之古利」と訓ずる。機織に携わる渡来系の部民が設定されていたのであろう。「浅井郡人従六位上錦曰佐周興」(「続日本紀」延暦六年七月一七日条)、「節婦近江国浅井郡人錦村主清常刀自」(「三代実録」貞観一六年九月二九日条)などとある錦氏は当郷とかかわる氏族であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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