上賀茂神社(読み)カミガモジンジャ

デジタル大辞泉 「上賀茂神社」の意味・読み・例文・類語

かみがも‐じんじゃ【上賀茂神社】

賀茂別雷神社かもわけいかずちじんじゃの通称。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「上賀茂神社」の意味・読み・例文・類語

かみがも‐じんじゃ【上賀茂神社】

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「上賀茂神社」の解説

上賀茂神社
かみがもじんじや

[現在地名]北区上賀茂本山

賀茂川の東畔、こう(御生山)を背にして鎮座。平安遷都以前よりこの地に住した賀茂氏の氏神で、祭神として賀茂別雷かもわけいかずち命を祀る。「延喜式」神名帳の愛宕おたぎ郡に「上社別雷ワケイカツチ 神社亦若雷、名神大月次相嘗新嘗」とみえる。正式名称は賀茂別雷神社で、京都市左京区にある賀茂御祖かもみおや神社を下鴨神社というのに対し、一般には上賀茂神社・上賀茂社という。平安時代、朝廷より伊勢神宮に次ぐ尊崇を受けた両賀茂社は、祭礼・奉幣・行幸などが同日に行われ、合せて一社の扱いを受ける場合も多い。文献上も両社を賀茂社と総称することが多くあり、区別のできぬ場合がままある。当社は平成六年(一九九四)世界の文化遺産(古都京都の文化財)に登録された。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔祭神〕

創建については「山城国風土記」逸文に、賀茂伝説として次のように記される。

可茂かも社の神は日向国たけに天降りした賀茂建角身かものたけつのみ命であり、その神は神倭石余比古かんやまといわれひこを先導して大和の葛木かつらぎ山に宿り、その地より山代国岡田おかだの賀茂(現京都府加茂町)に移り、さらに木津きづ川を北上、賀茂川上流へと至り、久我くがの国の北山基きたのやまもとに鎮座した。そこで賀茂建角身命は丹波国の神野かみの(現兵庫県氷上町御油の神野神社)神伊可古夜日売かんいかこやひめをめとり、玉依日子たまよりひこ玉依日売たまよりひめの男女が生れた。ある日娘の玉依日売が石川いしかわ瀬見せみの小川で川遊びをしていると、丹塗矢が川上より流れ下り、取って床の辺りに挿し置いたところ日売は男子を産んだ。成人して外祖父の賀茂建角身命が、汝の父と思う人に酒を飲ましめよといったところ、その子は天に向かって祭をなし、昇天した。そこで建角身命はこれを賀茂別雷命と名付けた。実は彼の父は乙訓おとくに社の雷神だった。そして賀茂建角身命・神伊可古夜日売・玉依日売の三神は蓼倉たでくら里にある三井みい社に座した。

この伝説から、賀茂氏は大和葛木山の拠地から移住したもので、奉斎する神は賀茂建角身命であること、旧社地は「久我の国の北山基」(現北区紫竹下竹殿町の久我神社の辺り、大宮の森とよばれる地)であること、賀茂社の祭神は雷神・水神すなわち雷・水を神の性格の基調とした農耕神であることなどが知られる。賀茂御祖神社の社名は賀茂氏の祖先神を祭神とすることによるが、その神々の背後に農耕神の姿がうかがえることは、神社の創建の古さを暗示する。

延暦三年(七八四)一一月には長岡ながおか京遷都に伴い、上・下の二社に従二位の神位が与えられ(続日本紀)、この頃から朝廷と直接の関係が生れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「上賀茂神社」の解説

上賀茂神社

京都府京都市北区にある神社、賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)の通称。山城国一之宮。祭神は賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)。国宝の本殿、権殿など多くの文化財を保有。「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録。5月の例祭、賀茂祭(葵祭)が有名。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

百科事典マイペディア 「上賀茂神社」の意味・わかりやすい解説

上賀茂神社【かみがもじんじゃ】

賀茂別雷神社

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上賀茂神社」の意味・わかりやすい解説

上賀茂神社
かみがもじんじゃ

賀茂別雷神社

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上賀茂神社」の意味・わかりやすい解説

上賀茂神社
かみがもじんじゃ

賀茂別雷神社」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上賀茂神社の言及

【葵祭】より

…現行の祭儀は勅使以下,早朝京都御所に集まり,御所から下賀茂神社に向かう。同社にて祭典,東遊(あずまあそび),走馬が行われたのち進発,賀茂川の堤を北上して上賀茂神社に到着,同社にて祭典,東遊,走馬の儀があり,終わって御所に帰る。御阿礼(みあれ)神事【岡田 荘司】。…

【上賀茂六郷】より

…中世賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)の膝下神領であった河上・岡本・中村・小山・大宮・小野の6ヵ郷の総称。現,京都市北区・左京区のうち。…

【賀茂別雷神社】より

…京都市北区上賀茂本山に鎮座。通称上賀茂神社。祭神は賀茂別雷神。…

【御阿礼神事】より

…毎年,古くは旧暦4月の中の午の日,現在は5月12日の夜,京都市北区の賀茂別雷(かもわけいかずち)(上賀茂)神社で行われる,古来の神迎えの神事。御阿礼祭ともいう。〈みあれ〉は出現・誕生を意味する。神社の北西約880mの御生野(みあれの)という所に祭場を設け,ここで割幣をつけた榊に神を移す神事を行い,これを本社に迎える祭りである。祭場には,720cm四方を松,檜,賢木(さかき)などの常緑樹で囲んだ,特殊の神籬(ひもろぎ)を設け,その前には円錐形の立砂一対を盛る。…

※「上賀茂神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android