金胎寺(読み)コンタイジ

デジタル大辞泉 「金胎寺」の意味・読み・例文・類語

こんたい‐じ【金胎寺】

京都府相楽郡和束町にある真言宗醍醐派の別格本山山号鷲峰山じゅぶせん天武天皇5年(676)えんの行者開創と伝え、養老6年(722)泰澄諸堂建立良弁ろうべん行基空海最澄らが修行をしたといわれる。

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精選版 日本国語大辞典 「金胎寺」の意味・読み・例文・類語

こんたい‐じ【金胎寺】

京都府相楽郡和束町にある真言宗醍醐派の寺。山号は鷲峰山(じゅぶせん)。役小角(えんのおづの)の創建で、養老六年(七二二)泰澄が諸堂を増築。以来、良弁(ろうべん)、行基、鑑真(がんじん)、空海、最澄らが修行し、修験道の霊地となる。文政九年(一八二六)良寛が再興。伏見天皇により永仁六年(一二九八)に建てられた多宝塔(国重文)がある。北大峰

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日本歴史地名大系 「金胎寺」の解説

金胎寺
こんたいじ

[現在地名]和束町原山

鷲峰じゆぶ山の頂付近にあり、鷲峰山と号し、鷲峰山じゆぶせん寺とも称された。真言宗醍醐派、本尊は弥勒菩薩(木造坐像、国指定重要文化財)。草創時期は不明だが、鷲峰山は古くから山岳霊場として開かれたと伝えるので、その拠点として建立されたと考えられる。嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」は「天武帝白凰四乙亥年九月勅願、役氏開基、然元明帝養老六年、越智泰澄大徳再建、伏見院隠遁所、本尊弥勒大士、大同二年願安大師再建也」と役小角開基、泰澄再建の伝承を記す。また同書に「僧坊五十八坊、交衆二十口、承仕十三人」とあって当時の寺運盛んであったことがうかがわれる。

金胎寺
こんたいじ

[現在地名]栗東町荒張

金勝こんぜ山下の成谷なるたに(鳴谷)の台地上にある。金霊山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。もと金勝こんしよう寺二五ヵ別院の一つ。「興福寺官務牒疏」によれば、天智天皇の祈願寺で、初め大和国高市たかいち郡にあって大久保おおくぼ寺と称した。義淵が当地に移し、鳴谷西なるたににし寺と称し、のちに金胎浄願じようがん寺と改めた。貞元年間(九七六―九七八)に蓮秀が中興、僧房九宇とある。当時奈良興福寺末の法相宗であったが、文明年間(一四六九―八七)東坂ひがしさか阿弥陀寺(現栗東町)三世宗真の布教により浄土宗に改宗、同寺末になったとみられる。「浄土宗寺院由緒書」に阿弥陀寺末とある。本尊の阿弥陀如来像の像内墨書銘に永治二年(一一四二)五月の年紀があり、造像にかかわった三九名の結縁者交名が記されている。

金胎寺
こんたいじ

[現在地名]小杉町戸破

戸破へわり地内のほぼ中央にある。護国山と号し、本尊は大日如来。高野山真言宗。越中観音霊場第一五番札所(稿本越の下草)。貞享二年寺社由緒書上に土地の伝えとして、文応(一二六〇―六一)改元の頃、紀州高野山大楽院信顕が北陸巡回の折、越中にしばらく滞在、両界曼荼羅などを当山に安置して「金胎扁寺与精舎」を草創したとある。またその後大破に及んだが、慶長三年(一五九八)高岡惣持そうじ寺前住持が兼帯を許されたとも記されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金胎寺」の意味・わかりやすい解説

金胎寺
こんたいじ

京都府相楽郡和束(わづか)町にある真言宗醍醐(だいご)派の別格本山。鷲峯山(じゅぶせん)と号する。676年(天武天皇5)役行者(えんのぎょうじゃ)の開基と伝え、越智泰澄(おちたいちょう)が722年(養老6)伽藍(がらん)を建立して以来、当寺において良弁(ろうべん)、行基(ぎょうき)、鑑真(がんじん)、空海(くうかい)、最澄(さいちょう)などの高僧が修行をしたといわれる。その後、1331年(元弘1)後醍醐(ごだいご)天皇が登山したため、兵火にかかり衰退した。1826年(文政9)良寛が中興となり、諸堂を再建。現在、境内には1298年(永仁6)建立の多宝塔(国の重要文化財)、大師堂など諸堂がある。寺宝の本尊木造弥勒菩薩坐像(みろくぼさつざぞう)、銭弘俶(せんこうしゅく)八万四千塔1基は国の重要文化財。当寺は役行者開基のため、古来から修験道(しゅげんどう)の霊場とされ、多くの霊跡がある。

[眞柴弘宗]

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世界大百科事典(旧版)内の金胎寺の言及

【和束[町]】より

…山地斜面を利用した茶の栽培が盛んで,とくに煎茶の主産地として知られ,林業も行われる。鷲峰山山頂近くにある金胎(こんたい)寺は,山岳霊場として古くから開かれたと伝え,大和大峰山に対して〈北大峰〉と呼ばれた。境内は国の史跡。…

※「金胎寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」