荒張村(読み)あらはりむら

日本歴史地名大系 「荒張村」の解説

荒張村
あらはりむら

[現在地名]栗東町荒張

井上いのうえ村・観音寺かんのんじ村の西、竜王りゆうおう山・金勝こんぜ山などの山地に立地。ほそ(金勝川支流)は地内に源を発する。古墳時代後期の春日神社かすがじんじや古墳群(円墳二基)がある。奈良時代の開基と伝える金勝こんしよう寺に付随して形成された集落で、中世金勝こんぜ庄のうち。慶長検地帳(宮城文書)では高五六二石余、うち田五三七石余・畑屋敷二五石余。寛永石高帳では同高で、うち旗本渡辺領五三二石余(以後幕末まで同高)・金勝寺領三〇石余。慶安高辻帳では渡辺領田五一二石余・畑一九〇石余、金勝寺領田二七石余・畑二石余。延宝七年(一六七九)の検地帳(宮城文書)によればなか谷・はやし谷など砥坂とさか(鶏冠山)谷間荒地が新開されており、天保六年(一八三五)までに田畑一二町七反余・高一三一石余が開墾された(沢文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報