里(り)(読み)り

日本大百科全書(ニッポニカ) 「里(り)」の意味・わかりやすい解説

里(り)

(1)7世紀後半から8世紀前半の地方行政区画末端単位。50戸を1里とする。『日本書紀』大化2年条(646)の改新詔に50戸1里の規定があるが、当初は30戸1里であったとする説もあり、50戸1里制が施行されたのは近江令(おうみりょう)(668)に基づく庚午年籍(こうごねんじゃく)(670)、全国的には飛鳥浄御原(あすかきよみはら)令(689)による庚寅年籍(こういんねんじゃく)(690)ともされる。里は、自然村落を基礎とするとの説もあるが、残存する戸籍実例もほぼ50戸1里を厳密に守っており、郡のなかを50戸ごとに1里として編戸して生じた余り余戸(あまるべ)とする、自然村落とは区別された人為的な行政区画であり、律令制の人民把握、賦課の単位であった。715年(霊亀1)里を郷とし、郷を2、3の里に分割する郷里制が施行された。郷里制下の里を自然村落とする説もあるが、郷を機械的に分割したものである可能性を否定できない。739~740年(天平11~12)に郷里制から郷制に移行したことによって、里制は廃止された。

(2)古代条里制土地区画名。条里制では、土地を一辺6町四方の方格に区画し、一方を1条、2条とし、他方を1里、2里として、土地の位置を示した。さらに、6町四方の方格のそれぞれの土地区画をも里とした。里には、数詞を用いるもののほかに、数詞の下に固有名詞を付し、あるいは数詞を用いずに固有名詞を名称とするものがある。この里の名称は、(1)の行政区画の里とは別個のもので、行政区画としての里の廃止のあとも長く用いられた。

(3)距離の単位。令制では300歩(ぶ)(1歩=5尺)を1里とし、1里は5町にあたったが、一方では6町1里の法も行われた。中世以降36町1里の法が行われたが徹底せず、1876年(明治9)に至り1里=36町=2160間(約3927メートル)の制が全国的に統一された。

大町 健]

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