国郡里制(読み)こくぐんりせい

精選版 日本国語大辞典 「国郡里制」の意味・読み・例文・類語

こくぐんり‐せい【国郡里制】

〘名〙 令制における地方行政組織。全国を国・郡・里の三段階の行政区画に編成し、国には中央から国司を派遣し、郡には現地の有力豪族を郡司に任命し、里には同じく現地の村落有力者里長に任じた。国、郡には大・上・中・下・(小)などの差があって規模は一定せず、里は五〇戸を一里とする画一的なものであった。→郷里制(ごうりせい)

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デジタル大辞泉 「国郡里制」の意味・読み・例文・類語

こくぐんり‐せい【国郡里制】

律令制下の地方行政組織。全国を国・郡・里の三段階の行政区画に編成し、国には国司、郡には郡司、里には里長を置いた。2里以上20里以下を郡とし、里は画一的に50戸を1里とした。→郷里制ごうりせい

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国郡里制」の意味・わかりやすい解説

国郡里制
こくぐんりせい

8世紀初頭大宝律令(たいほうりつりょう)によって定められた地方行政区画の体系律令国家は、唐の州県郷里制を継受し、国、郡、里の3段階の行政区画を編成した。唐制では、州司、県司ともに中央派遣官であったのに対し、日本では国司のみが中央派遣官であり、郡司には旧国造(くにのみやつこ)層をはじめとする在地首長が任命され、国と郡では性格の異なる行政区画となった。また、唐の郷里制では、並行して自然村落としての村制が存在したのに対し、50戸=1里の純然たる行政区分のみとした。こうした特質によって、唐制では戸籍田簿作製を、里正→県司→州司と段階的に行っていったのに対し、国郡里制では、その作製権は国司に集中されていた。

大町 健]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国郡里制」の解説

国郡里制
こくぐんりせい

律令制下の地方制度。唐の州―県―郷―里の重層的地方組織にならって,日本でも大化の改新以降に中央集権的な地方制度が整備された。646年(大化2)の改新の詔にみられる国司・郡司や50戸1里の制は大宝令文による修飾をうけたものと考えられ,孝徳朝から天武朝までの間に国,郡の前身の評(ひょう),50戸からなる里の制度が形成されて,国―評―里の重層的地方制度が確立し,浄御原(きよみはら)令制にひきつがれた。701年(大宝元)大宝令施行により評は郡に改められて国郡里制となる。717年(霊亀3。従来知られた霊亀元年式は3年の誤りか)には郷里制が採用されて国―郡―郷―里の4段階の組織となったが,740年(天平12)頃に郷里制は廃止されて国―郡―郷の3段階となり,以後定着した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国郡里制」の解説

国郡里制
こくぐんりせい

律令制下の地方行政制度
全国を58(のち66)カ国に,国を数郡に分け,郡を50戸を単位とする里に分けた。里には里長,郡には郡司,国には国司がそれぞれ置かれた。国郡里制は中央政府の支配力が拡大されるにつれて遠国へも実施されたが,荘園制の発達につれて変質し,その機能を失った。

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