日本大百科全書(ニッポニカ) 「村落」の意味・わかりやすい解説
村落
そんらく
集落の一つの型で、人間の居住形態の一つ。主として農業、牧畜、林業、漁業などの第一次産業を営む家族の住家から構成され、第二、第三次産業を主とする都市に比べ、その規模、密集度、形態において特質をもつ。一般に自然村は行政村と異なり、地域社会として社会的統一性をもち、地縁・血縁的に共同体としての性格と構造を有する。狭小性が一般的であり、その生活様式には等質性や伝統性がみられる。村落は概してある程度の閉鎖性を伴うが、都市との関係、交通の発達、生活の近代化の進展により、漸次開放性を強め、広大性、異質性、変動性をもつようになる。
[中田榮一]
分類
村落をいくらかの住家から構成される集落としてみる場合、分散・集合の平面形態や規則・不規則の別がある。集合形態では、もっとも一般的な塊村(かいそん)、街路に沿って家屋が建ち並ぶ街村や路村、ドイツ、ポーランドなどにみられる円村などがあり、分散形態では、富山県西部の礪波(となみ)平野の不規則な散村と、北海道の屯田兵(とんでんへい)村起源の村落や、アメリカ合衆国の中央平原の孤立農場などのような規則的なものとがある。これらの形態は主として耕地、道路、あるいは地形条件ともかかわりをもち、計画的な開発によるものは規則的となる。
機能のうえからは、生業形態により、農村、漁村、林業村などに分けるが、在来工業を営む村を工村とよぶ場合もある。山村、海村は山地や海岸にある村の意味で、山村でも林業を主体にする村や農業を主とする村もあり、海村には海を背にした村もある。また、歴史的・発生的には、柳田国男(やなぎたくにお)はわが国の村落を、荘園(しょうえん)以前の班田百姓村、名田(みょうでん)百姓村、門前百姓村、根小屋(ねごや)百姓村、新田百姓村、草分(くさわけ)百姓村などに分類した。
[中田榮一]
立地条件
村落はさまざまな地理的条件の地域に立地し、さまざまな機能、集落形態、生活形態をとる。平野の村、海岸の村、山地の村、さらに台地の村、扇状地の村、火山斜面の村、砂丘の村などである。広大な構造平野では、アメリカ合衆国の中央平原にみられるように、タウンシップ制に基づく規則的な孤立農場が広く展開するが、河川流域の沖積平野では、高燥な自然堤防や微高地上に集落が設けられ、列状や分散形態をとる。後背湿地は、東アジアの農村では一般に水田に利用される。揚子江(ようすこう)下流域の広大な江南デルタ地帯では、かつての分流の名残(なごり)であるクリークに囲まれて、圩田(うでん)集落が発達する。
わが国の場合、乏水性の台地では、飲料水の獲得や水田開発は困難で、近世に入るまで居住地とならなかった。江戸時代、土木技術の発達に伴い、武蔵野(むさしの)台地では玉川上水や野火止(のびどめ)用水などの分水が開かれてから生活用水の利用が可能になり、規則的に地割を行い、道路に面して街村形態をとる新田集落の形成をみた。高峻(こうしゅん)な山々に囲まれた交通不便な山地に立地する村落は、山林原野や、河岸段丘上や山腹斜面の零細な耕地を利用して隔絶された生活が続けられ、郷土色豊かな伝統文化をみることが多い。
[中田榮一]
生産構造
村落は第一次産業を主とする地域社会であるため、その生産構造は、生産手段である土地、林野、海面などの性格によって規定される。農村では、土地利用と土地所有関係がその基底をなし、耕作、灌漑(かんがい)、施肥、収穫など、土壌の性質や気候、水利などが深いかかわりをもち、畑作、水田作、工芸作物、商品作物などの村がある。漁村では、海底地形、海岸地形、潮流・海流などによって規定されて、釣(つり)漁村、網漁村、沿岸漁村、遠洋漁村などのさまざまな型がみられる。山村における入会(いりあい)地の利用、漁村における共同漁業など、村落共同体にかかわりをもつ生産構造がみられたが、資本主義経済の発達のもとでの地主の発生や階層分化、山村における山林地主と雇用労働、漁村における網主・船主と網子・舟子の関係など、生産構造に多くの問題を抱えてきた。そして、零細な生産力の村では、多くの出稼ぎ者や副業の成立をみた。第二次世界大戦後のわが国における農地改革や機械化の進展、工業化の進展に伴う都市への労働力流出などは、村落の生産構造に大きな変革を与えている。
[中田榮一]
村落の歴史
村落の歴史は、それぞれの国の歴史や地域によってかなり異なる。わが国の場合、沖積平野のほとんどが古代において水田が開かれ、血縁性の強い村落が形成され、豪族の発生もみていた。大化改新に際しての班田収授の制度施行にあたり、条里制が敷かれ、東北地方を除く日本の水田農村には、整然たる耕地区画の中に、ほぼ同規模の集村が展開し、今日もなおその遺構をとどめている所もある。荘園時代には原野や荒れ地が開かれ、垣内(かいと)式村落や環濠(かんごう)集落の展開をみた。奥まった山間地には隠田(おんでん)集落、岬の先には新しい漁村の発生をみた。近世に入ると遠浅の海岸や潟湖(せきこ)の干拓が始まり、また水利が不便のため未開発であった台地の開発も始まり、官営・民営の新田集落の発生をみた。明治以後には、北海道の屯田兵による開発や、植民地区画法に基づく一般の開拓村の成立をみ、整然とした耕地区画の中に規則的な散居村落の形成をみた。火山山麓(さんろく)の開拓も進められ新しい村落の成立をみた。第二次大戦後、農地改革や農業機械化の進展により村落社会の近代化が進み、一方、生産力の低い農山漁村では、都市への人口流出に伴い過疎現象もみられ、村落社会の変容を引き起こした。
[中田榮一]