通言総籬
つうげんそうまがき
洒落本(しゃれぼん)。1787年(天明7)刊。山東京伝作、山東鶏告(けいこう)画。書名の総籬は吉原の大店(おおみせ)の意で、吉原の大店松葉屋の世界を背景にその言語、風俗を描出している。前々年刊行の黄表紙『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』中の人物艶次郎(えんじろう)、北里喜之介(きたりきのすけ)、悪井志庵(わるいしあん)の3人を再登場させ、喜之介の自宅で遊里の最新の流行やうわさ話を展開する発端から、やがて3人がそろって吉原松田屋に出かけ、艶次郎はおす川に冷遇され、志庵は酔いつぶれ、喜之介は厚遇される三人三様の遊びの世界を描く。構想はすでに洒落本の類型ではあるが、洗練された唯美的な感覚が全編を貫き、細部にわたる徹底した写実の姿勢は、遊里通の京伝をして初めて可能なことであり、洒落本の写実的傾向の頂点にたつ代表作である。
[棚橋正博]
『水野稔校注『日本古典文学大系59 黄表紙・洒落本集』(1958・岩波書店)』
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つうげんそうまがき【通言総籬】
洒落本。山東京伝作・山東鶏告
(けいこう)画。天明七年(
一七八七)序。好評だった黄表紙「江戸生艷気樺焼
(えどうまれうわきのかばやき)」の人物たちを再登場させて、前半では遊里をめぐる最新の話題や流行を語らせ、後半は、吉原の
遊女をはじめ実在の人物をモデルとしてその風俗・言語を精細に描き、遊びの種々相をうがっている。洒落本の写実的な傾向を代表する
秀作。「総籬」とも。
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通言総籬
つうげんそうまがき
江戸後期,山東京伝の洒落本
1787年刊。「通言」とは吉原での特殊用語,「総籬」は最上級の遊女屋の意。会話の中に遊女の口癖と,細密な風俗描写を組み合わせ,写実に徹した洒落本の傑作。江戸遊里の細緻な「穿 (うがち) 」(一般には知られていない裏の事情などを明るみに出すこと)を描出した。
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通言総籬
つうげんそうまがき
洒落本。山東京伝作。1冊。天明7 (1787) 年刊。京伝の代表作。自作の黄表紙『江戸生艶気樺焼 (えどうまれうわきのかばやき) 』の好評に気をよくして登場人物3人を再起用したもの。極端に精細な遊里知識の披瀝と克明な描写を生命とした最盛期洒落本の典型で,洒落本の最高傑作とされている。
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デジタル大辞泉
「通言総籬」の意味・読み・例文・類語
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つうげんそうまがき【通言総籬】
洒落本。山東京伝作。1787年(天明7)刊。1冊。作者の当り作の黄表紙《江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)》(1785)の人物名をそのまま移している。うぬぼれの半可通仇気屋(あだきや)艶次郎が,たいこ医者わる井志庵と,とり巻きの北里(きたり)喜之介宅を訪れ,遊女あがりの女房を交えて種々うわさ話をしたあと,3人は吉原に出かけて松田屋にあがって遊ぶ。艶次郎は遊女おす川にふられ,志庵は泥酔し,喜之介は新造をあげて,情人の遊女と忍び会い,夜が明けて3人が帰って行くまでを描く。
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世界大百科事典内の通言総籬の言及
【江戸っ子】より
…しかもこれら〈田舎者〉が,江戸者ぶりをひけらかすことに対して,江戸生れどうしの強烈な〈みうち〉意識が芽生え,やがてこの面からも江戸っ子意識の成立が促されたといえよう。1787年の洒落本《通言総籬(つうげんそうまがき)》に,〈金の魚虎(しやちほこ)をにらんで,水道の水を産湯に浴て,御膝元に生れ出ては,拝搗(おがみづき)の米を喰て,乳母日傘にて長(ひととなり)(中略),本町の角屋敷をなげて大門を打は,人の心の花にぞありける。江戸っ子の根生骨,万事に渡る日本ばしの真中から〉とある。…
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