辰巳町(読み)たつみちよう

日本歴史地名大系 「辰巳町」の解説

辰巳町
たつみちよう

[現在地名]尼崎市東本町ひがしほんまち一丁目

風呂辻ふろつじ町の東に位置し、北は大物だいもつ川を挟んで杭瀬くいせ村。東から南にかけては北東から南西に流下する左門殿さもんど川に大物川が合流し、対岸は町の中央を東西に通る中国街道の辰巳渡でつくだ(現大阪市西淀川区)中世には尼崎四町のうちの一町で、四町のうち巽の方角にあたるところからの町名と考えられる。文安二年(一四四五)の兵庫北関入船納帳によれば、同年七月二九日に兵庫に入港した尼崎船の船頭の二郎太郎をはじめとして、衛門九郎・二郎衛門など辰巳に住む船頭の名が散見される。市庭いちにわ町とは隣接していたらしく、元亀三年(一五七二)織田信長長遠ぢようおん寺に与えた禁制(同年三月日「織田信長禁制」長遠寺文書)に「摂州尼崎内市場巽長遠寺」、天正二年(一五七四)三月日の荒木村重禁制(同文書)に「摂州尼崎巽市場法花寺内長遠寺」とある(→市庭町

辰巳町
たつみちよう

下京区新町通七条上ル

南北に通る新町しんまち通(旧町尻まちじり小路)を挟む両側町

平安京の条坊では、左京七条三坊二保四町東側と五町西側の地。応永三二年(一四二五)一一月一〇日付の酒屋交名(北野天満宮史料)によれば、「三郎五郎 七条町西北頬 清忠」と、酒屋が居住していた。西本願寺寺内町が開かれて以来の古町の一。寺内九町組のうち艮組に所属。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「新町四丁目」とあり、同一八年以前平安城町並図には、単に「新町尻」とみえる。寛文五年(一六六五)刊「京雀」では、まだ「四町目」とのみ記されており、現町名への改称年代は不明ながらも、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には、新町通七条上ルの地に「辰巳町」がみえる。

辰巳町
たつみちよう

東山区東大路通松原上ル

広道ひろみち通(安井門前やすいもんぜん通、現東大路ひがしおおじ通)に位置。南は松原通。再板本(明和刊か)「京町鑑」増補分に「松原上ル一町北のすじ、竪横とも 辰巳町」とみえるのが早く、開町を明和年間とする説(坊目誌)と一致する。地図の上でも、同じ頃の洛中洛外絵図に既に所見している。

辰巳町
たつみちよう

[現在地名]松任市辰巳町

鍛冶かじ町の東に続く後町うしろまち通の両側町で本町。天明五年(一七八五)町絵図(松任市立博物館蔵)には「東後町」と記され、両側に町家の屋並が描かれている。改称の時期は不明だが、文久三年(一八六三)宿絵図(青木家蔵)には辰巳町とみえ軒数六〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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