下京区(読み)シモギョウク

デジタル大辞泉 「下京区」の意味・読み・例文・類語

しもぎょう‐く〔しもギヤウ‐〕【下京区】

下京

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日本歴史地名大系 「下京区」の解説

下京区
しもぎようく

面積:六・七四平方キロ

京都市の中央部に位置する。北は四条通北を境として中京なかぎよう区、東はかも川を境に東山ひがしやま区、南は東海道線沿いにみなみ区、西は右京うきよう区及び南区と接する。区域全体はほぼ平坦地である。ほぼ中央にはほり川が南北に貫流し、東辺の鴨川の流路に沿って、高瀬たかせ川が流れ、西辺にはほぼ区境沿いに西高瀬川の流路がある。

〔原始〕

市街中央部であるため、遺跡は多く確認できないが、わずかながらも縄文時代から古墳時代に至る遺跡が発見されている。山陰線丹波口駅東方の中堂寺坊城ちゆうどうじぼうじよう町にある大阪ガスグラウンド内遺跡には、縄文及び古墳時代の遺物が発掘され、烏丸通綾小路の二帖半敷にじようはんじき町には、弥生より古墳時代の遺物がみられ、いずれも複合遺跡となっている。

〔古代〕

八世紀末平安京成立期における本区の範域は、朱雀すざく大路(現千本通)を挟む左右両京を含んだ。北は四条大路(現四条通)、東は東京極ひがしきようごく大路(現寺町通)、南はおよそ八条大路(現八条通)に至り、西は宇多うだ小路(現佐井西通)を限った。

本区の左京域には東市ひがしのいち東鴻臚館ひがしこうろかんなど、右京域には西市・西鴻臚館・大将町などの諸官衙施設があった。里内裏や貴族の主な邸宅としては左京域に河原院かわらのいん・六条内裏・中六条なかろくじよう院・北院きたのいん中院なかのいん・六条院・美福門院御所・千草殿・紅梅殿こうばいどの江家文庫ごうけぶんこ亭子ていじ院・猪熊いのくま殿・平重盛邸・西八条邸などがあった。なお、東京極には藤原氏建営の子女を収容する崇親すうしん院があったが、このほか、左京域には受領の豪富を示す江州五倉ごうしゆうごそうとよばれた御倉町が存在した。主な施設・邸宅は左京域に集中しており、右京域には家領が多く散在していた。寺社としては、文子天満あやこてんまん宮・因幡薬師いなばやくし堂・菅大臣かんだいじん社・五条天神社・市姫いちひめ(以上左京域)綱敷つなしき天満宮行衛ゆきえ天満宮(以上右京域)などが点在していた。

市街の景観は、平安中期以後しだいに変貌を遂げたが、なかでも都市機能の中心をなす市場機構(東市・西市)が解体し、左京域の町尻まちじり小路(現新町通)を中心に市町が自然的に再形成されるようになった。北から南へ四条町・七条町の繁華街が、町座とともに姿をみせ、五条堀川には、材木商人の町が出現するに至った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下京区」の意味・わかりやすい解説

下京〔区〕
しもぎょう

京都市中南部の区。 1889年市制施行と同時に設置された2区の一つ。その後中京区,東山区の新設に伴い区域が縮小。さらに 1955年南区を分区。現在の区の範囲は,北は四条通,東は鴨川,西は西高瀬川,南は JR東海道本線でほぼかぎられる。商店や住宅が密集し,百貨店,銀行,中央卸売市場があり,京都の交通,金融,商業の中心。東西両本願寺 (→西本願寺 , 東本願寺 ) があり,多くの国宝,重要文化財を所蔵。名勝の庭園や史跡をもつ。周辺には京仏具製造など伝統ある産業が多い。 1964年京都駅前に京都タワー (131m) が竣工した。面積 6.78km2。人口 8万2784(2020)。

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