日本大百科全書(ニッポニカ) 「資本主義」の意味・わかりやすい解説
資本主義
しほんしゅぎ
capitalism 英語
Kapitalismus ドイツ語
capitalisme フランス語
生産のための組織が資本によってつくられている経済体制。すなわち、資本制企業が物財やサービスの生産・流通の主体になっている経済体制であり、資本制経済ともよぶ。日本、アメリカ合衆国、西ヨーロッパ諸国など、いわゆる「西側の先進国」の経済体制は、資本主義である。
[岸本重陳・植村博恭]
経済体制としての資本主義
資本主義という用語は、資本が生産活動の主体となっている経済体制・経済システムをさすもので、主義・主張・思想をさすわけではない。アルコホリズムalcoholismということばがアルコール主義ではなくてアルコール中毒という状態を示すものであるのと同様に、資本制経済という体制を意味することばである。この経済体制を肯定したり擁護したり推進したりする思想・主張をさすためには、「自由主義」という用語が使われるのが普通である。資本による企業設立の自由、その企業による営業活動の自由を主張する自由主義の立場からは、資本主義という用語を忌避して、「自由経済」とよぶことが少なくない。
資本主義の構造と動態の解明のうえでもっとも大きな影響力を及ぼしてきた理論はカール・マルクスの理論であるが、その主著『資本論』においてマルクスは、資本主義ということばは使わず、「資本家的(もしくは資本主義的、あるいは資本制的)生産様式kapitalistische Produktionsweise」という表現を用いている。マルクスの考えでは、資本主義は、人類が歴史的に経験してきたさまざまな生産様式の一つであり、また永遠に存続していく最後の生産様式であるわけではない。歴史のなかで新しく誕生しやがて歴史のなかに消えていく一つの生産様式(経済体制)という性格を強調するためには、資本主義とよぶよりも「資本家的生産様式」という用語のほうがふさわしいと思われたのだろう。
[岸本重陳・植村博恭]
資本主義の基本構造
経済体制の編成原理
生存のためには生産が不可欠である。その生産のためには、労働をしなければならない。労働をする人間の肉体と精神の力である労働力、その労働が向けられる自然や素材などの対象、すなわち労働対象、そして労働をするときに人間が使う道具や機械、すなわち人間の肉体と精神の力の拡充・延長・外在化である労働手段、この三者が結び付いて生産が行われる。
労働対象と労働手段とをあわせて生産手段とよぶが、その生産手段の所有者が社会のなかの特定の人々だけに限られているのが階級社会である。階級社会では、労働する者は生産手段を所有せず、その意味で両者は分離しているので、なんらかの仕方でこの両者を結合させなければ生産が行えない。その分離の仕方と結合の仕方とが、経済体制の違いをつくりだす。奴隷制では、労働する人間は生産手段所有者の所有物である。この場合には、生産手段所有者にとって両者は分離しておらず、初めから結合している。農奴制もしくは地主制では、労働する人はもはや生産手段所有者の所有物ではなくなっているけれども、身分的隷属と移動の自由の制限によって、生産手段に緊縛されている。これらに対し、いわゆる封建的制約を打破し、個人の自由を価値原理として世界史の近代が始まるなかで成立する資本制は、労働力は個々人の肉体と精神のうちに実存するものであり、個々人の所有するものであることを承認した経済体制である。生産手段所有に対して労働力所有が初めて自立化した体制である。労働力の自己所有を承認された人間が労働者であり、奴隷や農奴は労働者ではない。
[岸本重陳・植村博恭]
労働力の商品化と資本化
労働者が生存のために必要な物を手に入れるには労働しなければならない。しかし彼らには生産手段がないのだから、生産手段所有者に労働力を提供しなければならない。生産手段所有者のほうも、労働力を入手しなければ生産を行うことができない。両者の結合は、労働力を商品として売買することによって行われる。なぜ商品になるかといえば、自分の所有物を自分の意思で対価と引き換えに提供しあうのだからである。労働力は「賃金」という対価と引き換えに資本によって買われ、資本の力能となる。商品化した労働力は、買い手が資本である限り、資本化する。労働者は、自分の労働をするのではなく、資本の命ずるところを、資本の力を構成する要素として、労働する。資本の所有単位である企業は、このようにして労働力を自分の力として掌握し、生産手段と結合させて生産を行う。しかし、労働力は人間の肉体と精神のうちに実存するものである以上、その支出の仕方は、人間の意思から切り離しえない。その意味で、労働力という商品は、資本の側からすれば、形式的には買うことができるが、実質的には「買い切れない」要素をもつ商品である。資本制企業にとって労務管理の問題が最重要の課題になるのはそのためである。
どんな経済体制でも、生産活動をするためには人間は共同して労働する。したがって共同労働の組織化が必要となる。以上の特質は、共同労働の組織化という面での資本主義の特質にほかならない。
[岸本重陳・植村博恭]
市場メカニズムと資本主義
次に、生産された物がどのようにして人々の間に分配されるかという面からも、資本主義という経済体制の特質をみることができる。この面からの特徴として指摘できるのは、商品売買を通じて分配が行われるということである。
人々の間での分配というとき、二つの側面がある。一つは、生産活動に携わったことによって生活資料を獲得できるようにする対人分配であり、もう一つは、その生産活動を継続していくために必要な条件を満たすという機能的分配である。そのどちらも、究極的には商品売買、したがって市場メカニズムを通じて行われるというのが、資本主義の特質である。まず第一に、個々の資本制企業は、何をどれだけどのように生産するかを自分の意思で決定することができる。第二に、それらの生産物は、不特定多数の人々に、対価と引き換えに提供するつもりで供給される。すなわち商品として生産され、商品として供給される。しかし、生産したものが、予定した価格で確実に売れるという保証はない。それは、買い手の選択と評価にさらされる。このように、作り手が不特定多数の相手の需要を想定しながら生産し、生産されたものを自分の意思で選択できる関係を市場関係といい、市場関係で需要と供給を一致させるように作用するメカニズムを市場メカニズムという。
労働者個々人に対してどれだけの賃金を支払うかということも、もちろん分配問題であり、それは資本が決定する。しかし、労働者が手に入れたその賃金で何をどれだけ買うかということが、対人分配を完結させる。そしてまた、資本制企業は、社会的分業の下、生産の継続に必要な労働力や生産財を市場で買わなければならない。そうした生産要素の補充ができるかどうかが、機能的分配という問題である。資本制企業は、互いに相手の生産した商品を買い合ってそのような補充を行うわけだが、それらを買うためには、自分の生産した商品が売れて所要の資金が手に入るのでなければならない。その意味で機能的分配も市場を通じて行われる。しかし、市場で需給が一致する保証はない。価格の変動や供給量の調節によってその需給一致が図られるのが市場メカニズムである。しかし、たとえば、価格上昇によって市場での需給が一致するようになったというときには、実は価格が高くなると買えなくなってしまう人を排除したから需給が一致できたのだと解釈することができる。
市場メカニズムは、人々の選択・選好に応じた資源配分を実現できるものだと評価し、この市場メカニズムに適合する生産様式は資本主義であると考えて資本主義を擁護する立場があるが、市場メカニズムはお金による投票で事を決めていくシステムなのだから、お金の分配が公平でなければ、その投票結果も人々のニーズや選好を純粋に反映したものとはいえないだろう。また、資本主義を否定するためには市場メカニズムを否定しなければならないとする考え方も、資本主義と市場メカニズムとを同一視する点で、同じ誤りに陥っている。むしろ、資本主義という経済体制と市場関係およびそのメカニズムとがどのような構造的連関をもっているか、ということこそが問われるべきであり、この点に関しては、「社会主義」を名のる体制が登場して以降、「社会主義における市場」の問題というかたちでも議論されてきた。
[岸本重陳・植村博恭]
資本主義の成立・発展と展望
資本主義という経済体制は、人々がそういうものをつくろうと意図的に努力してつくったものではない。たとえば、フランス大革命のスローガン「自由・平等・博愛」は近代を切り開いたスローガンであるが、資本主義は、営利の自由と餓死する自由をつくりだしたけれども、平等と博愛とを実現しえていない。マックス・ウェーバーは、これとは異なる脈絡のなかでだが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、資本主義は「意図せざる結果」として生み落とされたと主張している。しかしともあれ、近代に至って人々が相互に承認しあった個人の自由は、経済活動に大きな生産力の拡大をもたらし、それを営利の自由として取り込んだ資本主義は、かつてない生産技術の展開を工場制工業として実現し、物的生産の大々的拡大によって生活を変革してきた。その間、厳しい労資の階級間対立があり、恐慌があり、失業があり、帝国主義戦争があったが、経済体制としての資本主義は、「西側自由主義国」の内部では第二次世界大戦後、かえって「意図的に望ましいとされるもの」になっている。イデオロギーとしての資本主義は強化されたともいえる状況にある。
そうなったについては、なによりも資本主義が内包する柔構造的性格が大きく作用している。賃金は資本にとってはコストだから、資本はこれをできるだけ押さえ込みたい。しかし、労働者は、資本の生産物のうち消費財にとっては最大の買い手である。労働者の消費の源泉となる賃金所得は、資本にとって需要の源泉としての性格をもっているから、これをあまりに低く抑えすぎることは自縄自縛となる。その限りで、資本主義のもとで、労働者の生活の向上が可能となる。資本制企業はまた資本金拡大のために株式会社の形態をとるようになる。労働者階級もまた株を買い、出資者としての利益配分にあずかるルートができる。前者は資本主義が市場関係に依拠しているがゆえの柔構造だし、後者は資本による労働の組織化に内包されている柔構造とみることができる。こうした柔構造による成果配分が、労働疎外のような否定面をカバーするだけの魅力と受け取られる限り、資本主義は、経済体制としての安定性を確保することができよう。しかし、市場におけるお金の民主主義が問い直され、「民主主義は工場の門前に立ちすくむ」といわれるような企業内での専制主義が問い直されるようになれば、資本による経済の組織化体制としての資本主義は、揺らぎださざるをえないだろう。
[岸本重陳・植村博恭]
『J・A・シュムペーター著、中山伊知郎・東畑精一訳『資本主義・社会主義・民主主義』全3巻(1951~52・東洋経済新報社)』▽『S・マーグリン、J・ショアー編著、磯谷明徳・植村博恭・海老塚明監訳『資本主義の黄金時代』(1993・東洋経済新報社)』▽『日本経済新聞社編・刊『資本主義の未来を問う――変貌する市場・企業・政府の関係』(2005)』▽『K・マルクス著『資本論』(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』▽『M・ウェーバー著、梶山力・大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)』▽『R.L.HeilbronerThe Nature and Logic of Capitalism(1985, W. W. Norton & Company, New York, London)』