日本大百科全書(ニッポニカ) 「資本」の意味・わかりやすい解説
資本
しほん
capital 英語
capital フランス語
Kapital ドイツ語
日常的な意味では、貨幣一般またはその貨幣単位で表示される工場・機械や店舗といった生産・販売の設備や施設をさすが、経済学上は、立場や観点の相違によってその概念や定義も異なっている。
[大塚勇一郎]
近代経済学における資本
いわゆる近代経済学では、国際金融の分野で使われる場合を除いて、資本とは資本財一般のことをさし、資本財とは、生産過程に投入される生産された財(すなわち生産された生産手段)であって、土地(自然資源)や労働といった再生産不可能な本源的生産要素と区別されるのが普通である(したがって、たとえば奴隷制経済では、労働も再生産可能な生産財とみなされ、資本の範疇(はんちゅう)に――形式的には――入ることとなる。こうした意味から、リンカーンは一本のペンによってアメリカ南部諸州の資本の一部を一瞬にして消失させた、という見方も生まれうるのである)。
資本は、その耐久性の違いにより、工場、建物、機械設備など、数期間にわたって継続的に使用可能な固定資本と、原材料など、一期間において完全に使用されてしまう流動資本とに大別される。
[大塚勇一郎]
資本の深化と拡張
資本蓄積が労働の成長率以上の速さで進行し、したがって資本蓄積の結果、資本集約度が高くなるならば、それを資本の深化といい、これに対して、資本蓄積が労働の成長率と同一速度で行われ、そのために資本集約度が一定に保たれるならば、それを資本の拡張という。
ところで、もしも人々が、将来消費の増大を欲するのであれば、現存資源をすべて現在消費のための財の生産に振り向けるのではなく、一部を資本財の生産に充当し、そうして生産された資本財を用いて消費財の生産を行うべきであろう。換言すれば、直接的な消費財の生産よりも、間接的な、または迂回(うかい)的な消費財の生産のほうが、将来時点での果実は大きくなる、そういう生産方法が一般に存在するものと考えられている。これを迂回生産の利益といい、資本はまさにこの利益をもたらすための手段としての働きをしているといえる。この迂回生産の純利益または資本の純生産性は、次のようにして求めることができる。まず迂回生産から得られるであろう総収入(Q)を推計し、ついで迂回生産を行うにあたって要した諸費用(C)を算定する。そして(Q-C)を求める。これが資本の純生産性である。この資本の純生産性は、他の生産要素の数量が不変であり、かつ技術進歩がない限り、収穫逓減(ていげん)の作用によって資本の蓄積とともに低下していくものと考えられる。この資本蓄積過程は、資本の純生産性が市場利子率に等しくなる点で中止される。したがって、利子率が低くなればなるほど生産の迂回化の度合いは高くなり、資本蓄積も大きくなる。
伝統的資本理論あるいは正統派的資本理論(いわゆる新古典派的資本理論)は、このように、利子率と迂回化または資本の深化との間に負の一義的関係があるものと考えていた。
[大塚勇一郎]
再転換論
しかし、P・スラッファに端を発した、いわゆる技術再転換論争によって、この新古典派的資本理論は再検討を迫られた。新古典派的資本理論にまつわる困難は、ここでの関連でいえば、二点あげられる。
第一点は、異質的資本財をいかにして単一の指標で表すことができるか、ということに関するものである。問題にしている資本理論が意味をもちうるためには、なんらかの方法で求められた単一指標が、利子率または利潤率から独立でなければならない。そうでなければ、それらの理論は、利子率(利潤率)決定理論としての意味をもちえないからである。さらにその指標は経済の実体と無関係なもの、あるいは恣意(しい)的なもの(たとえば鉄のトン数)であってはならない。この後者の条件に合致するものとしては、均衡市場価格が考えられるが、それは前者の条件を一般には満たさない。このことから通常、伝統的な巨視的資本理論は論理的整合性を満たさないとされる。
第二点は、利子率が低くなればなるほど、それに対応した生産技術の資本集約度は高くなるという命題に関するものである。一般に、異質的資本財を使用する一つの生産技術から導出される要素価格線(利子率または利潤率と賃金率との関係を示す線)は直線ではなく曲線となる。このため相異なる二つの技術からそれぞれ求められる二つの要素価格線は正(第1)象限で2回以上交わる可能性をもつ。もしそうであれば、技術は、もとの資本集約度の低い技術が選ばれることになってしまう。より一般的にいえば、たとえ再逆転がなくともこうした利子率と資本集約度との、通説とは逆転した関係(J・ロビンソンはこれを錯倒した関係とよぶ)は起こりうるのである。
のいちばん外側にあるものが選択されることになるから(利潤率極大を仮定)、利子率rが0とr0の範囲ではa技術が、r0とr1の範囲ではb技術が選択されることになる。しかし利子率がさらに高く、r1より大となった場合には、ふたたびa技術が有利となる。すなわち、たとえ利子率が非常に高い水準から低くなった場合に資本集約度の高い技術が選択されることになったとしても、さらに利子率が低くなれば、ふたたび[大塚勇一郎]
マルクス経済学における資本
マルクス経済学の立場では、資本制生産を基本的に特徴づける資本・賃労働関係、つまり賃金労働者の賃金以上の剰余労働の価値を自己価値の増殖分として領有・取得する資本利潤創造運動という動態ないしは関係概念としての資本の側面を強調する。同権市民間の自由な交換社会としての近代商品経済のもとでは、等価交換の対象物となる機械設備などの生産財、またこの生産物の一般的な等価物として、その交換を媒介する貨幣そのものも、それ自体としてはなんら価値増殖機能をもちえず、これら生産物と貨幣がある一定の経済関係のもとで機能し、運動するとき初めて「自己増殖する価値」としての資本となると規定されるのである。
[吉家清次]
資本の運動様式
資本制生産の究極的目的と推進動機は、いうまでもなく最大可能な利潤の取得にある。しかし資本制経済の表面形態である商品交換からは、売り手として得たものを買い手として失う形になるから、一時的・偶然的にはともかく、恒常的で自立的な経済範疇(はんちゅう)としての剰余=利潤の創生は不可能である。利潤の創生のためには、商品交換の背後でなされる直接生産過程での価値形成=増殖運動をみる必要がある。まず商品交換過程で、いっさいの財物の等価値を自らの価値で表示しつつ交換を媒介する貨幣が「その最後の産物」として自立化するが、この貨幣はまた「資本の最初の現象形態」となる。すなわち、商品経済の発展は生産と生活手段から分離され、ただ自らの労働力を労働力商品として販売することによってのみ生活手段を取得できる賃金労働者階級を、他方ではこの労働力を含めていっさいの財物の価値表現手段=一般的等価物としての貨幣を集積する貨幣所有者階級を創出する(いわゆる資本の原始的蓄積)。この貨幣所有者のもとに、一定の賃金と引き換えに労働者が雇用され、賃労働関係が成立するとき、「貨幣は資本に転化する」。なぜならば、賃労働者はたとえその価値に等しい賃金を受け取ったとしても、実際の労働では賃金に等しい必要労働以上の剰余労働を行い、剰余生産物つまり剰余価値を創造し、貨幣所有者をしてこの剰余価値の転化形態である利潤の取得者すなわち資本家に転化するからである。マルクスは「黒人は黒人である。一定の関係のもとで彼は初めて奴隷となる。紡績機械は木綿を紡ぐただの機械である。一定の関係のもとにおいてのみ資本となる。……資本もまた一つの社会的生産関係である」(『賃労働と資本』)といっている。商品交換を媒介する貨幣が、以上の剰余価値の生産過程という基礎のうえで運動するとき、新たに獲得するのがこの資本機能である。したがって資本の一般的な運動様式は、単純な商品流通様式WA(A商品)―G(貨幣)―WB(B商品)の、G―W―G′(=G+g,g=価値増殖分)への形態転化として示されるが、実態は価値形成=増殖過程である生産過程を内包した産業資本の運動様式G―W<…P…W′―G′(A=労働力,Pm=生産手段,P=生産過程,W′=Wと区別される新生産物)となる。
[吉家清次]
資本の諸形態
したがってこの産業資本は、商品流通での不等価交換から利得する商業資本や前近代的な高利貸資本などとは厳密に区別される。マルクス経済学的意味での本来的な資本は、剰余価値創造主体である労働者を賃労働者として実体的に包摂することによって「自己増殖する価値」となった産業資本をいう。ところで、この資本運動が繰り返し展開されるとき、資本制商品経済のもとでは資本所有者の側に利潤が蓄積され、他方、賃労働者が階級として再生産される。したがって産業資本の再生産は資本・賃労働関係つまり資本家的生産様式の再生産の過程となり、利潤の産業資本への再転化、つまり資本の蓄積につれて資本制経済が拡大・発展する。また産業資本の運動過程は、(1)貨幣資本の労働力と生産手段という生産資本への転化(G―W<)の過程、(2)生産資本の直接生産過程(W…P…W′)、(3)生産物の商品資本へ、ついで、より増殖した貨幣資本への再転化(W′―G′)の過程、の3過程の統一である。資本制経済の発展につれて、それぞれの過程を担う資本機能、すなわち貨幣資本、生産資本、商品資本は分化独立して、貨幣資本は信用・銀行業務に特化する貨幣取扱資本に、商品資本は商品流通・分配機能に特化する商品取扱資本に発展し、その対極で産業資本は生産資本に特化していく。この資本機能の特化に伴って、産業資本が第一次的に領有する剰余価値=利潤は、生産企業者利得、商業利潤、資本利子といった第二次的な資本利得諸形態に分化し分配・領有される。また資本諸形態には、産業資本運動の(1)と(3)の流通過程を担う流通資本と(2)の生産資本という分類、資本価値移転=回転形態からする流動資本と固定資本という分類もある。
しかし資本の形態分類でとりわけ重要なのは、生産資本のうち労働力(A)にあたる可変資本と、生産手段(Pm)の不変資本との区別である。労働力=可変資本のみが価値を創造する能動的要素であり(労働価値説)、ただこの資本のみが価値増殖する(搾取利潤説)とみられるからである。そして可変資本と不変資本の割合を資本の有機的構成とよぶ。可変資本と剰余価値との比率は剰余価値率であり、資本による賃労働の搾取度を示すものとされる。しかし、この剰余価値率=搾取率は、生産過程に投入された全資本価値に対する全剰余価値の比率である利潤率とはまったく異なる概念である。この二つの比率の相違こそ、資本を実態概念でとらえる近代経済学の見解とマルクスのそれとを分かつポイントである。
[吉家清次]
会社法上の資本金
意義
会社財産を確保するための基準となるべき一定の計算上の金額。株式会社においては、株主有限責任の原則の結果、株主は会社に対し株式引受価額の範囲内において出資義務を負うだけで、会社債権者に対しては直接なんらの責任も負わないので、会社債権者の担保となるのは会社財産に限定される。その結果、会社債権者保護のために会社財産を維持し会社の弁済能力を確保する必要から、資本金の制度を設け、会社債権者のために一定の機能を果たさせている。ただ、ここに資本というのは、一定の計算上の金額を意味する法律上の観念であり、経済上の資本の観念とは異なり、また、絶えず変動する現実の会社財産とも異なる。
[戸田修三・福原紀彦]
資本金の構成
株式会社の資本金の額は、原則として、設立または株式の発行に際して株主となる者が当該株式会社に対して払込みまたは給付した財産の額である(会社法445条1項)。ただし、その払込みまたは給付にかかる額の2分の1を超えない額は、資本金として計上しないことができる(払込剰余金、同法445条2項)。その場合に、資本金として計上しないこととした額は、資本準備金として計上しなければならない(同法445条3項)。
[戸田修三・福原紀彦]
資本に関する原則
資本金制度が法定された趣旨から、会社財産を資本金額に相当するように充実させるとともに、これを資本金額以下にならないように維持することにより、会社債権者の保護を図るために、資本充実・維持の原則がある。たとえば、株式発行価額全額の払込み、現物出資の規制、剰余金の配当規制、準備金の積立等がある。また、資本金額に相当する財産が充実・維持されたとしても、その基準となるべき資本金額が容易に減少されたのでは債権者の利益が害されるので、資本金減少の手続につき厳重な規定を設け、とくに債権者に異議の申立権を認めるなどの方法により、債権者の保護を図り、資本不変の原則(資本減少制限の原則)を定めている。また、1950年(昭和25)の商法改正前には、資本金額が定款の絶対的記載事項となっており、株式会社の設立に際し資本金が確定するとともに、これに対応する株式の引受けの確定が要求されていた(資本確定の原則)。しかし、1950年の商法改正により授権株式制度が採用された結果、従来の意味における資本確定の原則は修正されたが、会社法では、支払いがあった部分のみ株式成立を認める打切り発行が認められたことで、この原則は廃棄されたと考えられる(会社法36条3項、63条3項、208条5項)。
[戸田修三・福原紀彦]
資本額の公示
株式会社の資本金の額は、1950年の商法改正により授権株式制度の採用に伴い、定款の記載事項から除かれたが、それは登記および貸借対照表によって公示される(会社法911条3項5号・440条、会社計算規則164条~170条)。
[戸田修三・福原紀彦]
持分会社における資本
なお、持分(もちぶん)会社にも資本金という制度は存在するが、合同会社におけるそれと、合名・合資会社におけるそれとでは、意義が異なる。合同会社においては、社員は全員有限責任社員であり(会社法576条4項)、社員が会社債権者に対して直接責任を負うことはないので(同法580条2項)、会社財産が会社債権者にとっての担保となる。よって、剰余金配当請求額を配当する日における利益額に限定したり(同法628条)、資本金を自由に減少させない(同法626条、627条)など、資本金に債権者保護の役割の一端を担わせている。これに対し、合名・合資会社においては、直接無限責任を負う社員が1人以上いるため(同法576条2項・3項、580条1項)、会社債権者保護のために、会社の計算を規律する必要性は少ない。会社に利益がない場合でも、利益配当請求に認めている。よって、資本金には債権者保護機能がなく、ただ、貸借対照表における資産の反対勘定という意味合いでしかない。
[戸田修三・福原紀彦]
『J・ロビンソン著、杉山清訳『資本蓄積論』(1957・みすず書房)』▽『P・スラッファ著、菱山泉・山下博訳『商品による商品の生産』(1962・有斐閣)』▽『J・R・ヒックス著、安井琢磨・福岡正夫訳『資本と成長』全2巻(1970・岩波書店)』▽『L・L・パシネッティ著、大塚勇一郎・渡会勝義訳『構造変化と経済成長』(1983・日本評論社)』▽『富塚良三他編『資本論体系』全10巻(1984~2001・有斐閣)』▽『K・マルクス著『賃労働と資本』(長谷部文雄訳・岩波文庫/村田陽一訳・大月書店・国民文庫)』▽『K・マルクス著『資本論』(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』