豊前国分寺跡(読み)ぶぜんこくぶんじあと

日本歴史地名大系 「豊前国分寺跡」の解説

豊前国分寺跡
ぶぜんこくぶんじあと

[現在地名]豊津町国分

豊津台地北東部に位置し、国指定史跡。現在跡地に高野山真言宗国分寺が建つ。豊前国分寺の瓦を焼いた徳政とくせい瓦窯跡が東方約三〇〇メートルに、仏を出土した正道しようどう遺跡が西方約二〇〇メートルの丘陵にある。豊前国分寺は天平一三年(七四一)聖武天皇が国ごとに金光明四天王護国之寺建立を命じた詔(「続日本紀」同年三月二四日条)に始まり、天平勝宝八歳(七五六)にはほぼ完成していたと考えられている(同書同歳一二月二〇日条)。「弘仁式」主税によれば、二万束が豊前国分寺料に充てられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「豊前国分寺跡」の解説

ぶぜんこくぶんじあと【豊前国分寺跡】


福岡県京都(みやこ)郡みやこ町国分にある寺院跡。今川と祓川(はらいがわ)に挟まれた洪積台地に所在する。周辺には国府推定地、国分尼寺跡、徳政瓦窯跡などがあり、古代豊前国の中心となった場所。奈良時代、741年(天平13)、聖武天皇の勅願によって全国に設置された国分寺の一つとして重要なことから、1976(昭和51)に国の史跡に指定された。伽藍(がらん)中心部と目される地域は現在、国分寺の境内となっており、明治時代には境内の西に三重塔が建立されるなど、旧状は一部変貌しているところもあるが、周辺に残る地形・地割りなどは往時をよく伝え、ほぼ方2町(約218m四方)の寺域を推定することができる。伽藍配置などはいまだ不明だが、一部確認調査の結果では、掘立柱建物からなる講堂の跡も確認されており、古代豊前国をうかがうことができる重要な遺跡といわれている。1985年(昭和60)から、周辺の環境整備、遺構の復元工事が実施された。平成筑豊鉄道田川線豊津駅から徒歩約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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