藤森神社(読み)ふじのもりじんじや

日本歴史地名大系 「藤森神社」の解説

藤森神社
ふじのもりじんじや

[現在地名]伏見深草鳥居崎町

創建由緒は不詳。深草ふかくさ郷に祀られていた真幡寸まはたき神社・藤尾ふじのお社・塚本つかもと社などの諸社を、中世に入り合祀したものと考えられている。社伝によれば、神功皇后が朝鮮半島出兵から帰国して後、旗と武器を当地に納めたことに始まるとされ、境内にはその由緒を伝える旗塚がある。「山城名勝志」に、「当社神主宅後園ニ旗塚ト云有、毎歳十一月朔日注連ヲ引同二日神供ヲ献テ祭之」と記されている。また当社はもと本宮新宮に分れており、本宮は「二座神号不詳」、新宮は崇道天皇(早良親王)・井上内親王(光仁后)・他戸親王(早良親王の弟)の三柱のほかに、「又配本朝武功神所謂神武天皇神功皇后日本武尊武内宿禰等也故号弓兵政所今所祭凡十三」と多くの武神を配祀、「弓兵政所」と別称されたと記す。

藤森神社
ふじのもりじんじや

[現在地名]摂津市鳥飼西二丁目

祭神は崇道尽敬皇帝(舎人親王)と菅原道真。旧郷社。崇道尽敬皇帝は山城藤森神社(現京都市伏見区)から勧請社名も同社に拠ったと伝えるが明らかではない。淀川の水難をしばしば被ったため社宝など流失し、鎮座由来など不明である。「摂津志」によると天正五年(一五七七)の棟札があり、社僧を養愚軒といい、天文六年(一五三七)に描かれた涅槃像を蔵していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の藤森神社の言及

【藤森祭】より

…京都市伏見区深草鳥居崎町にある藤森神社の例祭。祭日は6月5日(もとは5月5日)。…

※「藤森神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」