伏見町(読み)ふしみちょう

精選版 日本国語大辞典 「伏見町」の意味・読み・例文・類語

ふしみ‐ちょう ‥チャウ【伏見町】

[一] 江戸の遊里、新吉原の町名。大門をはいってすぐ左手にあり、小見世・局見世が並んでいた。もと江戸町二丁目のうち。
浮世草子御前義経記(1700)四「伏見町堺町、新町江戸町あげ屋町、武蔵屋といふ中宿に入そめ」
[二] 大阪市中央区北西部の町名。江戸時代は呉服商が軒を並べていた。
※浮世草子・好色二代男(1684)五「伏見(フシミ)町のごふく屋もむかしを浄土衣かへて世を見かぎりぬ」

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日本歴史地名大系 「伏見町」の解説

伏見町
ふしみちよう

〔城下町〕

伏見の地を「九郷」とよばれる農村から最大の城下町に変えたのは、豊臣秀吉の権力・財力を駆使した都市建設である。秀吉はこの地に隠居所を造ろうと、天正二〇年(一五九二)八月普請を始めている(兼見卿記)。「多聞院日記」が、「伏見隠居ノ普請被上了、爰ニ在レハ京ノ執心ニ似故被打置云々、既二方ノ石垣ハ出来了」(天正二〇年九月二七日条)と記すように、石垣をめぐらし城構えであったことから隠居城ともよばれた。翌文禄二年閏九月二〇日には秀吉が伏見に居を据えたとあるから(時慶卿記)、着工後一年で隠居城もほぼ完成していたのであろう。

秀吉は同年暮には、この隠居城を本格的な城郭に造り変えることと、広大な城下町を建設することに着手している。「太閤記」は「文禄三年二月初比より廿五万人之着到にて、醍醐、山科、比叡山、雲母坂より大石を引出す事夥し。伏見には堀普請に勢を分て掘せけるに、奉行衆打かはり打かはり見舞しかば、ほかの行事中々申もおろかなり。其外材木は、木曾の谷々土佐の嶺々にて大木を伐置ければ、又の年の夏の洪水に、をのづから流出ぬ。誠に天公も助成し給ふや」と工事が順調に進んだことを記す。

指月しげつの城とよばれる本格的な城の建設と並行して、向島むかいじまにも出城を建設。「慶長年中卜斎記」は「文禄三年、伏見向島に城を御取立、指月の城より川を掛てと仰出され候」と記し、「駒井日記」も「伏見向島桜植木のかこひとして、京の惣廻土居枯竹をきらせられ」と記しており、指月と向島の出城が緊密に結ばれていたことを物語る。秀吉が新しい指月の城に入ったのは、文禄三年八月一日、城の普請もまだ続行中で、城下の大名屋敷や町家も建設工事中であったが、秀吉のこの伏見城(指月)移徙によって伏見の地が中央政治の場となった。

文禄五年閏七月一三日、大地震が畿内を襲った。「義演准后日記」はその模様を「伏見事、御城・御門・殿以下大破、或転倒、大殿守悉崩テ倒了。男女御番衆数多死、未知其数、其外諸大名ノ屋形或転倒、或雖相残形也、其外在家為体、前代未聞、大山モ崩、大路モ破裂ス、非只事」と伝える。秀吉は余震まだなりやまぬ翌一四日、城郭の位置を指月から伏見山に移して再建するよう命じ、ただちに城と城下町の再建工事が始められ、伏見は以前の活況を取戻した。城下には全国大小名の武家屋敷が出現し、全国に類例のない巨大都市へと発展し、集住してくる武士団の需要を満たすための商人や職人たちが町人居住区を形成した。

伏見町
ふしみちよう

[現在地名]津山市伏見町

東は材木ざいもく町、西はきよう町に連なり、北は城の堀。慶長年間(一五九六―一六一五)に成立し(津山誌)、当初は出雲往来の南側だけに町屋があったので片原かたはら町と称された。「武家聞伝記」元和八年(一六二二)一月一九日条に片原町の大火事が記され、正保城絵図には北側にも町屋がみえる。元禄一二年(一六九九)に伏見町と改めた(津山誌)。同一〇年の家数等改帳では、片原町として家数三六、本役二五軒、町筋東西七七間半・通道町幅二間三尺、関貫一。

伏見町
ふしみまち

[現在地名]東区伏見町三―四丁目

本天満もとてんま町の西に延びる両側町で、栴檀木せんだんのき筋より丼池どぶいけ筋を経て心斎橋しんさいばし筋まで。山城伏見から元和初年に移ってきた町で、伏見では茶屋町であった(初発言上候帳面写)。町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえる。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数三五・役数四〇役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。

伏見町
ふしみちよう

[現在地名]中区丸の内まるのうち一―二丁目

桑名くわな町筋西の伏見町筋北端に位置する。きよう町筋とすぎの町筋との間の二丁をいう(尾張志)が、魚の棚うおのたな筋の北から杉の町筋まで、と細かく指摘する書物もある(町名起因並町家由緒)。遷府のとき山城国伏見の人伏見屋六兵衛が居住したので、町名を生じた。草創の年月は不明。清須きよす越しの町ではない(尾張城南陌名由緒)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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