伏見区(読み)フシミク

デジタル大辞泉 「伏見区」の意味・読み・例文・類語

ふしみ‐く【伏見区】

伏見

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日本歴史地名大系 「伏見区」の解説

伏見区
ふしみく

面積:六二・三二平方キロ

京都市の最南端に位置する。伏見区の境域は広範囲で、かつての郡でいえば、紀伊きい乙訓おとくに綴喜つづき久世くせ宇治うじの五郡にまたがる。紀伊郡がその中心であり、紀伊郡内の伏見庄から伏見九郷―伏見城下町―伏見町となって発展していった地域が、今もなお伏見区の中心部である。

「俯見」「伏見」「伏水」などと記されるが、その字義についても、天の岩戸から伏して見る地であるとか、巨椋おぐら池に枕したような地形ゆえに伏水とよばれるとか、あるいはまた伏流水の豊富なところから伏水とよばれるのだというように、さまざまな解釈が行われている。

伏見の文献上の初見は、「日本書紀」雄略天皇一七年三月二日条に「詔土師連等使進応・盛朝夕御膳清器者、於是土師連祖吾笥仍進摂津国来狭々村山背国内村俯見村伊勢国藤形村及丹波但馬因幡私民部」とあるもので、朝夕の御膳を盛るべき清き器をたてまつらしめるため、山背国俯見などの民部が貢進されたと解釈されている。ただし、この「俯見村」を「山背国俯見村」と解するか否かには異説もある。次いで「万葉集」第九に、「巨椋乃入江響奈理射目人乃伏見何田井爾雁渡良之」と伏見の文字を認めるが、巨椋池北方の伏見か、久世郡の伏見田井たい(現京都府久世郡久御山町)か定説をみない。しかし、伏見北部の深草ふかくさ辺りには早くから、進んだ技術をもった土器生産者が居住していたようであり、伏見南部の巨椋池界隈は魚鳥の狩猟場として注目されていたと考えられる。

〔原始〕

伏見区内の遺跡として深草遺跡が知られる。京都盆地における代表的な弥生時代の農耕集落跡で、多くの土器や石器とともに、農具を含む木器も発見されている。古墳時代の遺跡としては、稲荷山いなりやま古墳群やその西麓の番神山ばんじんやま古墳、大岩山おおいわやま南麓の黄金塚こがねづか古墳などが代表的なものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伏見区」の意味・わかりやすい解説

伏見〔区〕
ふしみ

京都市南部の区。 1931年伏見市と付近の町村が京都市に編入されたのに伴い新設。東山連峰の南への延長部である桃山丘陵と,その西側に広がる低地,東側の醍醐などの地区を含み,南は宇治川南岸の向島地区にまで及ぶ。中心をなす伏見の町は,文禄年間 (1592~96) 豊臣秀吉が桃山丘陵南端に築いた伏見桃山城 (伏見城 ) の城下町として発展。江戸時代は高瀬川によって京都と結ばれて淀川水運の重要な河港となり,大坂と京都を結ぶ中継地として栄えた。酒造地としても知られ,現在でも酒造業は盛ん。近郊農業地帯であったが,工場用地化,住宅地化も進み,大規模な住宅団地が続々と建設され都市化が著しい。伏見桃山城,稲荷大社,桃山御陵,醍醐寺法界寺などがあり,特に醍醐寺は国宝の建造物,書画で知られ,各社寺には名勝,史跡が多い。面積 61.66km2。人口 27万7858(2020)。

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