葛城(市)(読み)かつらぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「葛城(市)」の意味・わかりやすい解説

葛城(市)
かつらぎ

奈良県の中央部西端に位置する市。2004年(平成16)北葛城郡當麻町(たいまちょう)と新庄町(しんじょうちょう)が合併、市制施行して成立。西は金剛山地で大阪府南河内郡太子(たいし)町、同郡河南(かなん)町と隣接する。太子町との境にある二上山(にじょうさん)(雄岳517メートル、雌岳474メートル)の南方岩屋峠、竹内(たけのうち)峠、平石峠岩橋峠がある。国道24号、165号、166号、168号が通り、南阪奈道路の葛城インターチェンジがある。JR和歌山線と、市内で近畿日本鉄道南大阪線と分かれた御所(ごせ)線が走る。市域の西半は金剛山地の東麓で、東半は奈良盆地南西部の沖積地。金剛山地は金剛生駒紀泉(こんごういこまきせん)国定公園に含まれる。

 二上山は石器の材料として知られる讃岐岩(サヌカイト)を産出した。竹内峠の南東には30基以上の円墳(うち前方後円墳・方墳各1基)を中心とする竹内古墳群がある。南部の傾斜地から平坦部には二塚、屋敷山(やしきやま)の2基の前方後円墳(国指定史跡)がある。南部山麓一帯は円墳を中心とした60基を超える寺口千塚古墳群、10数基の寺口和田古墳群、150基以上あったと推定される小円墳からなる寺口忍海古墳群(てらぐちおしみこふんぐん)、30基以上の円墳が残る山口千塚古墳群などがあり、一大古墳分布地帯をなす。雄岳山頂には天武天皇の皇子で、皇太子に謀反したとされて自殺した大津皇子の墓(おおつのおうじのはか)がある。竹内峠を通る路(江戸時代は竹内街道)は古代から和泉、河内、大和などを結ぶ重要な街道であった。中世には雄岳山頂に木沢氏の二上山城が築かれた。江戸時代になると、東南部を南北に通る高野街道に近い新庄に桑山一晴(かずはる)の陣屋(新庄藩)が置かれ、陣屋町が形成された。竹内街道に沿う竹内では宿場的な街村が発達した。江戸時代の市域は新庄藩領、幕府領、御所藩領、郡山藩領などで推移する。産業は木綿のほか、大屋の慶雲寺の桑山丸、當麻寺の陀羅尼助(だらにすけ)などに起源を持つ大和売薬が知られた。

 現在は米のほかネギなどの蔬菜や、出荷量日本一の二輪菊などの花卉(かき)栽培、県下有数の出荷額のパルプ・紙のほか、メリヤス、プラスチック、ソーラーパネルなどの製造業、製薬業、また、乳用牛などの畜産、造園業も盛んである。竹内古墳群の北には中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説で知られる當麻寺がある。国宝の本堂、東西の三重塔や、綴織(つづれおり)當麻曼荼羅など多数の寺宝、中之坊庭園(国指定史跡・名勝)などが著名で、北方の石光寺(せっこうじ)とともに牡丹の名所でもある。歴史博物館や、『日本書紀』に見える力士の始祖の一人とされる當麻蹶速(けはや)に因んだ相撲博物館「けはや座」がある。面積33.72平方キロメートル、人口3万6832(2020)。

[編集部]


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