竹内街道(たけのうちかいどう)(読み)たけのうちかいどう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

竹内街道(たけのうちかいどう)
たけのうちかいどう

大阪府南河内(みなみかわち)郡太子(たいし)町と奈良県葛城(かつらぎ)市の境界、二上(にじょう)山南側鞍(あん)部にある竹内峠を越える道。当麻(たいま)道ともいう。『日本書紀』の推古(すいこ)天皇21年冬11月の条に「難波(なにわ)より京(みやこ)に至るまでの大道を置く」と記された古代の官道で、7世紀初め難波津(なにわづ)から大和(やまと)飛鳥(あすか)の都への大陸系先進文化の重要な導入路であった。太子町には用明(ようめい)、推古、孝徳(こうとく)各天皇陵や古墳群、聖徳太子廟(びょう)の叡福(えいふく)寺などの史跡がある。

 竹内街道という呼称は江戸時代以降で、当時は堺(さかい)から羽曳野(はびきの)丘陵の北部を通って古市(ふるいち)(羽曳野市)に入り、太子町を経て竹内峠を越え、竹内(葛城市)へ至った。

[菊地一郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例