出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山形県北東部の市。1949年市制。人口3万8850(2010)。新庄盆地のほぼ中央に位置し,北東部は奥羽山脈に属する神室(かむろ)山地に連なる。指首野(さすの)川扇状地の扇央から湧水帯にかけて形成される中心市街は,江戸初期に戸沢政盛が入部して城下町を建設してから発達した。廃藩置県により一時新庄県が置かれたが,1871年(明治4)山形県に合併,以後最上地域の行政,経済,文化の中心地として,またJR奥羽本線から陸羽東線・西線が分岐する交通の要衝として発展し,1999年末には山形新幹線が乗り入れた。農業と商業に加えて,1960年代後半から家具や電気機器の工場が立地し,福田地区には大規模な新庄中核工業団地が造成された。8月下旬に行われる〈新庄祭〉は,東北一の山車(だし)祭として知られる。
執筆者:中川 重
出羽国最上郡の城下町。戦国期には清水氏の支配下にあった日野氏の沼田城があった。清水氏を滅ぼした最上氏改易(1622)のあと,この地方は戸沢氏の支配となったが,1625年(寛永2)に真室(まむろ)城からここに城を移し,整備・拡張した。城郭は本丸,二の丸,三の丸からなり,1709年(宝永6)の侍屋敷,町屋敷ともで588軒,人数3439であった。町人町には,鉄砲町,馬喰町,五日町,十日町,横町,万場町,鍛冶町,茶屋町などがあり,羽州街道沿いに並んでいる。戸沢氏は,新庄盆地の東山麓を通っていた旧街道を城下に引き入れ,城下町の繁栄を図ったといわれている。五日町,十日町は城下町の中心で,馬喰町は,秋田,南部,および領内の小国馬の売買でにぎわった。1868年(明治1)の戊辰戦争で,城下は庄内軍のためほとんど焼き払われた。89年当時,戸数1830,人口1万0444。
執筆者:横山 昭男
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奈良県北西部、北葛城郡(きたかつらぎぐん)にあった旧町名(新庄町(ちょう))。現在は葛城市(かつらぎし)の南部を占める地区。1923年(大正12)町制施行。1956年(昭和31)南葛城郡忍海(おしみ)村を編入。2004年(平成16)當麻(たいま)町と合併、市制施行して葛城市となる。旧町域は、金剛(こんごう)山地東斜面から奈良盆地の一隅を占める。大阪府と接し、JR和歌山線、近畿日本鉄道御所(ごせ)線、国道24号、165号が通じ、南阪奈道路の葛城インターチェンジが近い。中心集落の新庄は近世初期桑山氏の小城下町であったが、のち幕府領となった。商業中心で、水田農業のほか、近年は蔬菜(そさい)・花卉(かき)栽培も盛ん。南東部の薑(はじかみ)ではショウガを特産したが、1990年代に入ると減少し、現在は生産されていない。工業は製薬や靴下、メリヤスの生産が有名。また、半導体、紙加工品、プラスチック加工などの工場が進出している。葛城山麓(さんろく)には屋敷山古墳や二塚古墳(ともに前方後円墳、国史跡)をはじめ多くの古墳がある。置恩寺の十一面観音立像、博西(はかにし)神社本殿、村井家住宅は国指定重要文化財。忍海に葛城市歴史博物館がある。
[菊地一郎]
『『新庄町史』(1967・新庄町)』
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血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
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