荒沢寺(読み)こうたくじ

日本歴史地名大系 「荒沢寺」の解説

荒沢寺
こうたくじ

[現在地名]羽黒町手向

羽黒山南麓にある。羽黒山と号し、羽黒山修験本宗。本尊は湯殿山大日如来・月山阿弥陀如来・羽黒山観音菩薩。当寺の位置する荒沢あらさわは明治初年の神仏分離以前は羽黒山の奥院にあたり、女人禁制聖域で、荒沢寺の呼称も羽黒山清僧寺院三一院のうちで奥院三舎と称された経堂きようどう院・聖之ひじりの院・北之きたの院のほか、中興開山心浄坊勝尊(延慶三年没)を祀る開山堂・釈迦堂・地蔵堂・常火堂など(三山雅集)を含む荒沢山一山の総称であった。荒沢にいつ頃から坊舎が建立されたか明証を欠くが、「三山雅集」によれば地蔵堂本尊の地蔵菩薩が出現したのは推古天皇元年のことで、平将門娘如蔵尼の護念の本尊であったという。慶長一三年(一六〇八)の羽黒山五重塔棟札(出羽三山神社社務所蔵)によると天慶年中(九三八―九四七)平将門が地蔵菩薩像を荒沢の地に安置したといい、「大泉庄三権現縁記」では永久四年(一一一六)に「荒沢地蔵菩薩建立」、元永元年(一一一八)に「次部野学頭、北之院本尊釈迦、羽黒荒沢へ引」とあり、比較的早期から聖域とされてしだいに堂舎が建立されていったものであろう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒沢寺」の意味・わかりやすい解説

荒沢寺
こうたくじ

山形県鶴岡(つるおか)市羽黒(はぐろ)町にある羽黒山修験本宗(しゅげんほんしゅう)本山。羽黒山正善院(しょうぜんいん)と号する。本尊は大日如来(だいにちにょらい)・阿弥陀(あみだ)如来・観音菩薩(かんのんぼさつ)。中世までは天台・真言・禅の三宗兼学の修験道場で、当寺は羽黒山一山の奥の院であった。1189年(文治5)源頼朝(よりとも)が藤原泰衡(やすひら)征討のおり、羽黒山に戦勝を祈願し、その報礼として社殿造営山麓(さんろく)に黄金堂(こがねどう)(国の重要文化財)を建立、1596年(慶長1)に直江山城守兼続(なおえやましろのかみかねつぐ)、甘粕備後守景継(あまかすびんごのかみかげつぐ)が修築。1641年(寛永18)全山は天台宗に統一されたが、1946年(昭和21)独立して羽黒山修験本宗本山となる。寺宝には仁王像(伝運慶(うんけい)作)、本堂、庫裡(くり)など多数を蔵している。

[中山清田]

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世界大百科事典(旧版)内の荒沢寺の言及

【羽黒派】より

…羽黒山在住の修験者はこれら在地修験者の協力を得て各地に講を結び,守札を配付するとともに出羽三山参詣の道者を泊め,かつ先達をした。明治初年の神仏分離によって三山は出羽三山神社となり,別当以下の衆徒は神職に転じ,わずかに残った僧と修験者は,第2次大戦後,荒沢(こうたく)寺を中心に羽黒山修験本宗を再興した。出羽神社【戸川 安章】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」