臨沂(読み)りんぎ(英語表記)Lín yí

改訂新版 世界大百科事典 「臨沂」の意味・わかりやすい解説

臨沂 (りんぎ)
Lín yí

中国,山東省南部の都市。人口199万(2003)。沂山に源をもつ沂水(河)に臨むゆえに名づけられた。山東丘陵の南,沂水,水(ほうすい)(祊河),沭河(じゆつが)等のつくる平野の中心にあり,南の淮北(わいほく)平野とつらなる斉魯地域の南の門戸の位置にある。南方より斉魯に侵入する際の必争の地であり,また北方より南方を攻略する際の要衝であった。春秋時代の呉・越,南朝の宋,明の朱元璋(洪武帝)等が北方へ進出する際の経路であり,また宋・金が争ったときの要地となり,近代においては,南下する日本軍に対し中国軍の抵抗拠点が設けられた。漢になって臨沂県が設けられ(位置は現在よりかなりに北で,開陽県が現在の県城に近い),当初は東海郡に属したが,のちに東の琅邪郡(ろうやぐん)に属した。琅邪郡は南北朝末に沂州と改められ(しばしば旧名に復するが),隋には州治が臨沂県に移された。明には県が省かれて州のみになり,清には沂州府となって付属の県を蘭山県と称したため,現在もこれらの名で呼ばれるが,行政上は1913年に臨沂県に復した。市内には春秋時代以来の古跡が多いが,とくに市城の南東部に対峙する銀雀山(ぎんじやくざん),金雀山には多くの漢墓があり,銀雀山漢墓(1号墓)から出土した《孫臏兵法》《孫子兵法》等の竹簡は,古代史研究の貴重な資料となっている。また湯頭村には高温温泉が出る。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「臨沂」の意味・わかりやすい解説

臨沂
りんぎ / リンイー

中国、山東(さんとう)省南部の地級市。3市轄区、沂水(ぎすい)など9県を管轄する(2016年時点)。人口1113万2000(2014)。市は魯中(ろちゅう)山地の南東麓、沂河(ぎが)の沿岸に位置する。小麦、大豆、ラッカセイを栽培するほか柞蚕糸(さくさんし)の生産が盛んである。炭田が分布し粘結炭を産出する。山東省南部の交通の中心地で、自動車道が四通し、兗石(えんせき)線(兗州石臼(せききゅう))、膠新(こうしん)線(膠州―新沂(しんぎ))が交わる。

 1972年市内の銀雀山漢墓(ぎんじゃくざんかんぼ)から『孫子(そんし)』など秦(しん)・漢以前の書籍が竹簡の形で発見された。

[駒井正一・編集部 2017年1月19日]

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