禁野車塚古墳(読み)きんやくるまづかこふん

日本歴史地名大系 「禁野車塚古墳」の解説

禁野車塚古墳
きんやくるまづかこふん

[現在地名]枚方市宮之阪五丁目

中宮なかみやから続く丘陵天野あまの川に挟まれた低地にある、前方部を西に向けて築造された前方後円墳。国指定史跡。古墳の名称となった車塚は「河内名所図会」に「禁野村にあり、惟喬親王、御車をこゝに乗捨給ふ古蹟なりとぞ」と記される。全長一一〇メートル、後円部の直径五七メートル、高さ九・九メートル、前方部幅四〇メートル、高さ四メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「禁野車塚古墳」の解説

きんやくるまづかこふん【禁野車塚古墳】


大阪府枚方(ひらかた)市宮之阪にある前方後円墳。淀川南岸、生駒(いこま)山脈の北西山麓に延びる枚方丘陵の川に挟まれた住宅地に所在する。淀川流域南岸に残る数少ない古墳の一つで、淀川が瀬戸内から畿内(きない)の中心部にいたる主要交通路の一つと推定されることから、地域の歴史を知る遺構としてその意義は高いとされ、1972年(昭和47)に国の史跡に指定され、2007年(平成19)に追加指定を受けた。墳丘の長さ約120mで前方部を西に向け、前方部は平らで低いばち形で、後円部が高くなっており、周濠その他の施設はない。墳丘は2段築成で、すべて盛り土があること、葺石(ふきいし)は後円部南側下段に、円筒埴輪(はにわ)や形象埴輪は後円部裾野断面に多く認められる。主体部は不明だが、後円部頂に板石片があり、竪穴(たてあな)式石室と推定される。築造時期は墳形、内部構造、埴輪片などから古墳時代前期末、4世紀と考えられてきたが、2008年(平成20)の調査により、墳形の特徴が奈良の箸墓(はしはか)古墳と共通し、相似墳とする見解があらわれた。被葬者については、大和政権と関わりの強い人物の可能性が高くなっている。京阪電鉄交野(かたの)線宮之阪駅から徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報