枚方市(読み)ヒラカタシ

デジタル大辞泉 「枚方市」の意味・読み・例文・類語

ひらかた‐し【枚方市】

枚方

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日本歴史地名大系 「枚方市」の解説

枚方市
ひらかたし

面積:六四・五二平方キロ

琵琶湖から大阪湾に至る中央低地のほぼ中心を占め、旧河内国の最北角に位置する。西は淀川が南西流して市の境界をなし、東は生駒山地の北西端に接し、市域の大部分は枚方丘陵とよばれる標高二〇メートルから五〇メートルの低い丘陵をなしている。淀川に沿う地域は、標高五―七メートルの狭い沖積平野となっている。北東は京都府八幡やわた市、東は同綴喜つづき田辺たなべ町、南東は奈良県生駒市、南は交野かたの市、南西は寝屋川市、淀川を隔てて西は高槻たかつき市、北西は三島郡島本しまもと町。

「日本書紀」継体天皇二四年条に載る歌謡に「比駄」(枚方)とみえ、古い地名であることが察せられるが、語の由来は明らかでない。淀川は古代から近世に至るまで、河内・摂津と山城を結ぶ交通の大動脈であった。奈良時代には、平城京から北上して山城国綴喜郡を通り、生駒山地の北縁を横ぎって市域に入り、楠葉くずはで淀川を渡って西国へ向かう官道(山陽道)が通じていた。このほか大和と枚方を結ぶ磐船いわふね街道、市域の中央部を南北に走る東高野街道(長岡京―平安京時代の南海道)があり、近世には淀川べりを京街道(東海道)が通るなど、枚方が交通の要衝であったことが知られる。現在は、国道一号が市域中央を北東八幡市、南西寝屋川市に抜け、田辺町に通じる三〇七号がこれに交差する。淀川と並行して府道京都―守口線(旧京街道)、交野市を通って奈良に通じる国道一六八号(旧磐船街道)が通る。京都―守口線に沿って京阪電鉄が走り、枚方市駅で京阪交野線を分岐し、また、東部の山麓沿いに国鉄片町線が通る。

〔原始〕

先土器時代から縄文時代前期にかけての津田三ッ池つだみついけ遺跡から先土器時代のナイフ形石器や石核・剥片が出土し、藤阪宮山ふじさかみややま遺跡からも細石器・石核が出土している。縄文時代の遺跡としては早期の穂谷ほたに遺跡があり、土器片などが出土している。また津田三ッ池遺跡からも前期の石鏃・石匙が採集されている。市域の大部分が丘陵をなしていて、初期の稲作には不適であったためか、弥生前期の遺跡は発見されていないが、中期に入ると遺跡がみられるようになる。田口山たのくちやま遺跡は竪穴住居と多様な土器類・石器を出土している。後期に入ると天野あまの川沿岸の遺跡中最古と目される藤田山とうだやま遺跡があり、無文の土器を多く出土する。標高六〇メートル前後の高所に竪穴住居が点在する鷹塚山たかつかやま遺跡は、砦的な遺跡とも考えられる。古墳時代に入ると、主として丘陵の縁辺部に前期から後期にわたる多数の古墳が造営されるが、その多くが開発によって破壊ないし攪乱された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「枚方市」の意味・わかりやすい解説

枚方〔市〕
ひらかた

大阪府北東部,淀川左岸の市。1947年市制。東部の生駒山地北麓,枚方丘陵,交野台地(かたのだいち)は早くから開けた地で,古墳や先史時代の遺跡がある。中心市街地の枚方は江戸時代には京街道の宿場町,淀川の河港として繁栄。明治以降は一時衰えたが 1910年の京阪電気鉄道開通に伴い宅地化が進んだ。大阪市の衛星都市の一つで,伝統産業として製麺,竹製品製造があったほか紡織,機械,電気機器,金属などの工業が行なわれる。1965年頃から交野台地に大阪既製服団地,家具団地,枚方中小企業団地などが建設され,工業団地を形成。乳牛中心の枚方畜産団地もある。香里ヶ丘の香里ニュータウンをはじめ中宮などにも高層住宅群がある。国指定史跡の牧野車塚古墳と禁野車塚古墳(きんやくるまづかこふん),田口山遺跡,伝王仁墓,片埜神社(本殿は国指定重要文化財),百済寺跡(国指定特別史跡)など史跡に富む。ひらかたパークは菊人形展で知られた。東部を JR片町線(愛称は学研都市線),西部を京阪電気鉄道が通り,枚方市で京阪交野線を分岐。また,国道1号線と 170号線が交差する。面積 65.12km2。人口 39万7289(2020)。

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