瀬戸内(読み)せとうち

精選版 日本国語大辞典 「瀬戸内」の意味・読み・例文・類語

せと‐うち【瀬戸内】

[1] 瀬戸内海。また、瀬戸内海沿岸の地域。
[2] 岡山県南東部、瀬戸内海に面した地名。内陸部はJR赤穂線が通じ、岡山市のベッドタウン化が進む。名刀備前長船の産地で知られ、また、牛窓港は古代から海上交通の要地として栄えた。平成一六年(二〇〇四)市制。

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デジタル大辞泉 「瀬戸内」の意味・読み・例文・類語

せとうち【瀬戸内】[地名]

瀬戸内海およびその沿岸地域の称。
岡山県南東部にある市。北部の長船おさふねは中世に刀鍛冶かたなかじで栄え、備前最大の都市だった。平成16年(2004)11月牛窓町邑久おく町、長船町が合併して成立。人口3.8万(2010)。

せとうち【瀬戸内】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「瀬戸内」姓の人物
瀬戸内寂聴せとうちじゃくちょう
瀬戸内晴美せとうちはるみ

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日本歴史地名大系 「瀬戸内」の解説

瀬戸内
せとうち

大島とその南西にある加計呂麻かけろま島の間の海峡。大島海峡の別称であり、琉球王国の時代よりみえる。「おもろさうし」巻一〇に「辺留笠利から中瀬戸内かち 中瀬戸内から金の島かち」と謡われており、喜界きかい島に使いした名高い神女の押笠が同島から笠利かさん(現笠利町)を経て中瀬戸に着き、徳之島沖永良部おきのえらぶ島・与論島と船をつなぎ、沖縄島に帰った経路がうかがえる。巻一二には「大みや 百島よ 瀬戸内 八十島よ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「瀬戸内」の意味・わかりやすい解説

瀬戸内[市] (せとうち)

岡山県南東部,瀬戸内海に面する市。2004年11月牛窓(うしまど),邑久(おく),長船(おさふね)の3町が合体して成立した。人口3万7852(2010)。

瀬戸内市南部の旧町。旧邑久郡所属。人口7691(2000)。瀬戸内海に面し,海上には牛窓瀬戸を挟んで前島,黄島など大小八つの島が横たわる。丘陵が海岸線に迫り,錦海湾の塩田跡を除いては低地に乏しい。中心集落の牛窓は古代からの港町で,内海航路の要衝として栄えたが,明治以降交通の幹線からはずれて衰退した。丘陵地帯での野菜栽培,カキ,ノリの養殖が行われ,鹿忍に県立水産試験場がある。早くから阪神の乳牛の預託育成が盛んで,1940年ころからオリーブの植樹が始まった。海岸と島嶼(とうしよ)部は瀬戸内海国立公園に属する。前島,黄島の貝塚は瀬戸内海の海進を示す遺跡として知られる。
執筆者:

古くは神功皇后の三韓出兵にまつわる伝説があり,《万葉集》などの古書にも散見する。西国航路の風待・潮待港,さらに中継港として早くから発達した典型的な港町で,足利義満も厳島参詣の途次風波をさけて寄港しており,室町後期には中国,朝鮮との交易一役かっている。江戸時代には岡山藩の在町に指定され,地元物産の備前焼,塩,魚,綿などの積出港,日向,土佐や紀伊から木材を仕入れて兵庫,大坂などへ回送する中継港として栄えた。木材の集散は中世以来の造船業に拍車をかけ,造船の町としても有名になった。岡山藩もここに御茶屋,番所,灯籠堂を設置し,長大な一文字波戸を築造して港町としての整備をはかり,1636年(寛永13)以後は朝鮮通信使が停泊し,名刹(めいさつ)本蓮寺(1492年創建の本堂などは重要文化財)に休泊した。なお,唐子踊,太刀踊が伝来する。
執筆者:

瀬戸内市中部の旧町。旧邑久郡所属。人口1万9501(2000)。吉井川下流東岸に位置し,東は瀬戸内海に面する。西部に吉井川三角州の千町(せんちよう)平野が開け,東部は丘陵地からなる。東端の虫明(むしあけ)は岡山藩家老伊木氏3万石の城下町で,古くは韓泊(からどまり)と呼ばれた朝鮮使節寄港地であった。千町平野は県下有数の穀倉地帯で,丘陵部では果樹・野菜栽培が行われる。沿岸部ではカキの養殖を主体とした漁業が営まれる。岡山市に隣接する西部はベッドタウン化が進んでいる。本庄には竹久夢二の生家があり,生家と少年山荘は夢二郷土美術館分館となっている。余慶寺には重要文化財の木造薬師如来座像などがある。JR赤穂線が通じる。

瀬戸内市北部の旧町。旧邑久郡所属。人口1万2211(2000)。吉井川が岡山平野に流れ出る地点の東岸に位置する。〈備前長船〉〈福岡一文字〉で知られた備前刀鍛冶が長船,福岡等の集落を形成したところ。福岡は中世の福岡荘の中心に当たり,鎌倉時代から市が開かれ,南北朝期には町屋が軒を連ねるほどの繁栄をみた。鎌倉時代の市のようすは《一遍上人絵伝》に描かれている(福岡市(ふくおかのいち))。また黒田官兵衛孝高の出身地でもあり,黒田家の墓所がある。現在は米作中心の農業を基幹産業とするが,岡山・備前両市に挟まれベッドタウン化が進む。南部は大化改新後陶部の部民が居住した土器の生産地で,土師(はじ),須恵などの字名が残る。国道2号線,JR赤穂線が通じる。
執筆者:

瀬戸内[町] (せとうち)

鹿児島県大島郡の町。人口9874(2010)。奄美大島南端部と加計呂麻(かけろま)島,与路(よろ)島,請(うけ)島などからなる。全域にわたって古生層の山々が急傾斜で海に落ち込み,リアス式海岸を形成する。大島と加計呂麻島の間にある大島海峡は大規模な沈水海湾である。集落のほとんどは奥深い入江に孤立して〈シマ〉と呼ばれ,集落間の交流が困難である。大島海峡をへだてて加計呂麻島をのぞむ古仁屋(こにや)は古くから海上交通の要地で,第2次世界大戦中は旧海軍の南進基地であった。現在も町の人口の約半数が集中する中心集落で,奄美大島南部の玄関口にあたり,鹿児島との間の定期船,各島間を結ぶ貨客船やフェリーが発着する。サトウキビの栽培や豚の飼育,鰹節やウニ,かまぼこなどの水産加工が行われ,大島紬を特産する。加計呂麻島の諸鈍(しよどん)は平家の落人部落といわれ,大屯(おおとん)神社で奉納される諸鈍芝居は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
執筆者:

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世界大百科事典(旧版)内の瀬戸内の言及

【大島海峡】より

…鹿児島県南部,奄美大島本島とその南西部にある加計呂麻島との間にある長さ約20km,幅約2kmの海峡。瀬戸内とも呼ばれる。沿岸は山が海峡に迫り,屈曲に富むリアス海岸で風光に優れ,奄美群島国定公園の中心部となっている。…

※「瀬戸内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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