男色(なんしょく)(読み)なんしょく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「男色(なんしょく)」の意味・わかりやすい解説

男色(なんしょく)
なんしょく

男性の同性愛のこと。「だんしょく」とも呼び習わす。現代で用いられる俗称の「ホモ」はホモセクシュアルhomosexualの略称で、元来は「同性愛」のことだから、男性、女性それぞれの同性愛の総称のはずだが、日本ではとくに男色の意味だけに使っている。

 男色には、独自のコンプレックスがあったり、女性への激しい恐怖や嫌悪感から同性にしか興味を示さない定着的なものなどさまざまな場合があるが、このほか、青少年期に多い過渡的両性傾向のうちの同性同士の交渉や、身近に女性がいないので行う男性同士の性交渉もある。しかしこれらを含め、広義で男色とよんでいる。男色には、男性を男性として愛する男色と、一方が女装したり女性っぽいそぶりをする男色との2種類がみられる。

 歴史的にもっとも早く知られている男色は、古代エジプトの軍隊内におけるもので、これは、相互団結と秩序を乱す女性への排除思想からだとされている。日本の中世僧侶(そうりょ)や武家社会(衆道(しゅどう)とよんだ)や、ヨーロッパのノルマン人の戦闘的集団にこうした男色傾向がみられた。しかしながら、同性愛の理想化、観念化は古代ギリシアでなされた。すなわち、年長者(エラスト)が少年(エロトメーヌ)を家に引き取って愛情を込めて教育し、少年は年長者と同一化することによって種々のことを学びとりつつ、自己形成することを理想とした。アリストファネスは、「心身とも男の愛に捧(ささ)げた若者だけが、のちに国を治める人物になる」といった。プラトンも天上的な愛は男の同性愛だという。肉欲を超えたプラトニック・ラブとは、もともとは男性同性愛の理想化したものをさすことばであったのである。

 こうした古代ギリシアの思想は古代ローマにも受け継がれ、カエサルシーザー)、ティベリウス、ネロらの同性愛的傾向は有名である。しかし、このような歴史をもつヨーロッパでも、民族増強あるいは人口的見地から、中世以後は男色は弾圧、禁止された。ルネサンス期のミケランジェロイギリス王のエドワード2世やシェークスピアにも男色傾向があったといわれるが、けっして正面きって男色の主張をしたわけではない。

 その主張がなされたのは自由主義、個人主義の確立した19世紀のことで、ランボーとの激越な逸話をもつベルレーヌを経て、オスカー・ワイルドやアンドレ・ジッドによって堂々と自己告白がなされた。ベルリンの医師マグナス・ヒルシュフェルトは同性愛を第三の性として法の保護を要求したが、もちろん容認はされなかった。なぜなら、現在でもイギリスをはじめとして男性の同性愛を法律で禁止している国々があるし、その他の国でも未成年者との交渉は処罰しているほどだからである。しかし、とくに第二次世界大戦後は、アメリカをはじめとして同性愛の法的規制の排除を求める声が高まり、男性同士の結婚を認めるべきだとする主張も出ているし、職業的男色者も珍しくなくなった。なお、男色が古来文学や芸術に間接的に大きな影響を与えてきたことは、注目しておくべき事実である。

[深作光貞]

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