瑞雲院(読み)ずいうんいん

日本歴史地名大系 「瑞雲院」の解説

瑞雲院
ずいうんいん

[現在地名]春野町堀之内

気田けた川左岸、若身わかみ一角にある。秋葉山と号し、曹洞宗本尊聖観音。当院蔵の明細帳によると、養老二年(七一八)行基がこの地を訪れ、本尊となる木像を造り、茅舎を建てたと伝える。その後永正二年(一五〇五)、天野安芸守は周知すち飯田崇信いいだそうしん(現森町)の賢窓常俊を招き中興開山とし、弟子助岑祥佐を二世として再興した。このとき密教系の寺院から曹洞宗に転宗した。当時、寺は東の会下えげ山にあったという。天正年中(一五七三―九二)兵火にかかり堂宇は灰燼に帰したとされる。

瑞雲院
ずいうんいん

[現在地名]上京区作庵町

仏迎山と号し、浄土宗。文禄三年(一五九四)教誉が創建、慶長二年(一五九七)現在の寺号となったという(坊目誌)。本尊阿弥陀立像は有髪で、俗に児如来と称され、「京羽二重(貞享二年刊)は「名弥陀」の一つに数える。「浄家寺鑑」(寛文八年刊)によれば、円融天皇の時(九六九―九八四)江州高島たかしま(現滋賀県高島郡)に住む丈夫夫婦の三歳になる男児が、秋の夕暮れに行方が知れなくなった。数年後、夫婦の家に立寄った旅僧が事の始終を聞いて童形の阿弥陀像を刻み、これを本尊として念仏を怠らなければ、必ず子供に再会すると説いた。

瑞雲院
ずいうんいん

[現在地名]米沢市浅川

堤下つつみしたにある。嶺松山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。寺伝によれば、紀州熊野生れの僧眠看が高野山で修行ののち当地に至り、建久元年(一一九〇)柴庵を結んだ。その後下浅川の館主三浦須奈・為康などの帰依を得て精舎を営み、同三年嶺松山万年まんねん寺と号したという。応永元年(一三九四)月泉(仏覚古心禅師)真言宗から曹洞宗に改宗したという。寺蔵の「正法二世瑞雲開山月泉良印禅師行状記」には、同年八月月泉の嗣子良王が開創したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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