独立労働党(読み)どくりつろうどうとう(英語表記)Independent Labour Party

日本大百科全書(ニッポニカ) 「独立労働党」の意味・わかりやすい解説

独立労働党
どくりつろうどうとう
Independent Labour Party

イギリスの政党。略称ILP。1893年1月、ブラッドフォードケア・ハーディを指導者として結成された。各地の独立の労働党を糾合したもので、思想的にはフェビアン協会社会民主連盟中間に位置する社会主義的組織である。その後、労働者階級の独立した政党の結成を目ざし、前記の二組織および労働組合代表とともに、労働党の前身である労働者代表委員会を結成し(1900)、その一翼を構成した。労働党結成(1906)後もその内部において重要な役割を果たし、マクドナルドスノーデン、ヘンダーソンら労働党の重要な指導者を輩出した。

 第一次世界大戦初期の平和主義的態度から戦後は勢力を伸長させたが、マクドナルドによる第一次労働党内閣が成立(1924)してからは、労働党内の「左翼」的反対派を形成するようになり、1932年7月労働党から脱退、その後政党としては衰退し、47年ふたたび労働党に戻った。

[岡本充弘]

『関嘉彦著『イギリス労働党史』(1969・社会思想社)』『D・J・H・コール著、林健太郎他訳『イギリス労働運動史 第三巻』(1953・岩波書店)』『マックス・ベア著、大島清訳『イギリス社会主義史 第四巻』(1975・岩波書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「独立労働党」の意味・わかりやすい解説

独立労働党 (どくりつろうどうとう)
Independent Labour Party

イギリスの社会主義政党。略称ILP。不熟練労働者の組合活動に触発され,労働教会など地方の社会主義運動を結集し,1893年ブラッドフォードで結成された。ケア・ハーディらの指導下に労働組合と社会主義伝道とを結ぶ改良主義的議会政党たらんとしたが,激しい資本家攻勢のもと,より大きく組合に依存する別個の労働党を発足させた。労働党内において,第1次大戦中反戦立場貫き,反戦自由主義者の労働党参加への道を開いた。クライド地区の戦闘的労働者とJ.R.マクドナルドを支持する自由主義者双方に勢力を伸張し,1924年の第1次労働党内閣に6人のILP閣僚を擁したが,その成果に失望。26年急進的綱領〈われわれの時代に社会主義を〉を発表した。J.マクストン指導下に共産党に接近するが,反ファシズム人民戦線より反帝路線を選ぶ。32年労働党から脱退後は党員数が激減し,かつての偉大な党のセクト的後裔として今日に至る。
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百科事典マイペディア 「独立労働党」の意味・わかりやすい解説

独立労働党【どくりつろうどうとう】

英国で最初の労働者階級の政党。1892年初めて議員になったスコットランドの鉱夫ケア・ハーディらが社会主義者と労働組合の連携をはかる目的で翌1893年ブラッドフォードで設立。当初は北部の工業地帯に勢力範囲は限られていたが,1900年労働代表委員会の構成メンバーとなって,1906年の労働党誕生の有力な要因となった。第1次大戦中は反戦主義を貫き,次第に勢力を拡大し,ケア・ハーディの死後リーダーとなったR.マクドナルドの第1次労働党政権にはその出身者6人を閣僚として送った。しかしそれが失敗に終わったため急進的な社会主義化の道を選び,1932年労働党から正式に脱退したあとは急激に党員数を減らした。1975年労働党に復党したが,圧力団体的な存在に留まっている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「独立労働党」の解説

独立労働党(どくりつろうどうとう)
Independent Labour Party

1893年ハーディによって設立された,イギリス最初の労働者政党。既成政党から独立した労働者の代表を議会に選出することと,漸進的な社会主義の実現を期した。労働代表委員会の中心的な存在として労働党の実現に寄与したが,党内では左派の立場をとり,第一次世界大戦においては反戦を主張。戦後の労働党内閣を批判して,1932年労働党を脱退した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「独立労働党」の解説

独立労働党
どくりつろうどうとう
Independent Labour Party

1893年に結成されたイギリス最初の労働者政党
「生産・分配・交換のすべての手段の社会的所有」を唱え,きわめて急進的であった。ケア=ハーディらの指導の下にマクドナルド・スノーデンらを加え,1900年労働代表委員会を結成し,06年にフェビアン協会・社会民主連盟とともに労働党を成立させた。1924年の第1次マクドナルド内閣には6人の閣僚を入れたが,32年労働党から脱退し,勢力を弱めていった。

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世界大百科事典(旧版)内の独立労働党の言及

【労働党】より

…1900年,議会に独自の労働代表を送るため,J.K.ハーディらの指導で労働組合と社会主義諸組織との連合体として〈労働代表委員会Labour Representation Committee〉が結成された。これは,自由主義から社会主義へ組合を改宗させるため独立労働党を中心に推進された運動の直接の成果だが,他方,不熟練労働者の〈新組合運動〉に挑戦する雇主側の攻勢および法的制裁に対し組合のとった自衛措置でもあり,階級闘争の産物だった。書記長J.R.マクドナルドと自由党指導部との間で締結された秘密選挙協定が効を奏し,06年の総選挙では,自由貿易圧勝の波にのり29人の議員を当選させ,〈労働党〉と改称した。…

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