熊野磨崖仏(読み)クマノマガイブツ

デジタル大辞泉 「熊野磨崖仏」の意味・読み・例文・類語

くまの‐まがいぶつ【熊野磨崖仏】

大分県北東部、国東くにさき半島南部の豊後高田ぶんごたかだ市にある岩壁に刻まれた石仏群。田原たわら山(標高542メートル)の西側、熊野地区に位置する。6メートルの大日如来像や8メートルの不動明王像などがあり、平安時代後期にできた日本最古・最大級磨崖仏といわれる。国の重要文化財史跡指定

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日本歴史地名大系 「熊野磨崖仏」の解説

熊野磨崖仏
くまのまがいぶつ

[現在地名]豊後高田市平野 熊野

今熊山胎蔵たいぞう寺の南、鬼が一夜のうちに築いたと伝える百数十段の急な石段を登りつめた深山幽谷の地にあり、凝灰岩層の巨大な垂直岩壁に彫出された磨崖仏群。国指定史跡・国指定重要文化財。北方約一・三キロには真木大まきおお堂があり、東には田原たわら(鋸山、約五四〇メートル)がそびえる。磨崖仏の位置から、さらに石段を登ると左手に胎蔵寺の鎮守熊野社が鎮座する。真中まなかには元宮もとみや磨崖仏、上野うえのには鍋山なべやま磨崖仏があり、両磨崖仏も熊野磨崖仏の付として国の史跡に指定されている。

熊野磨崖仏は岩壁に向かって右に伝大日如来像(像高約七メートル)、左に不動明王像(同約八メートル)がいずれも半肉に彫出され、不動像下方の左右両側にも二童子像が彫られている。しかし現在この二童子像はほとんど磨滅し、大日・不動両像に至っては肉眼で見るかぎり、腰部以下が欠失した状態。このため大日・不動両像の腰部以下は初めから造顕されなかったという見方が従来支配的であったが、最近の調査で坐像という見解が示されるようになった。

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事典 日本の地域遺産 「熊野磨崖仏」の解説

熊野磨崖仏

(大分県豊後高田市平野)
おおいた遺産」指定の地域遺産
今熊野山胎蔵寺から鬼が一夜で築いたとされる乱積みの石段を登ったところの絶壁に刻まれている不動明王(8m)と大日如来(6m)の磨崖仏。平安時代末期の作といわれ、国指定重要文化財および国指定史跡

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

世界大百科事典(旧版)内の熊野磨崖仏の言及

【国東半島】より

… 国東半島は,古くは宇佐神宮とその神宮寺である弥勒寺の荘園となっていたところで,国東六郷の山々に多くの寺が建てられ,ここに独特の国東仏教文化が開花した。石仏,国東塔などの石造美術も多く,豊後高田市大字平野にある熊野磨崖仏は,豊後磨崖仏のなかでも最大のものである。近年,この地域には多くの観光客が訪れるようになった。…

【豊後高田[市]】より

…近年,工場団地をつくり工場の誘致をはかっているが,依然として雇用機会が少ないので人口が流出する傾向にある。田染(たしぶ)地区は国東文化の遺跡が多く残っているところで,富貴(ふき)寺をはじめ,重要文化財の仏像を多数有する伝乗寺(真木大堂),豊後磨崖仏中,最大の規模を誇る熊野磨崖仏(史)などがある。天念寺の修正鬼会は国の重要無形民俗文化財に指定されている。…

※「熊野磨崖仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」