磨崖仏
まがいぶつ
石仏の一種で、自然の懸崖(けんがい)や大石を彫刻し、仏像などを陰刻や浮彫りで表したもの。摩崖仏とも書く。その多くは石窟(せっくつ)寺院の形式でつくられ、洞窟を普通の寺院のように掘り抜いたり、差しかけの木造の建物をつくったりして、その奥に仏像をつくる。この形式はインドでは紀元前3世紀ごろからあり、アジャンタ石窟などが名高い。アフガニスタンのバーミアンにも巨像がつくられていたが、2001年タリバン政権により破壊された。中国でも巨像はほとんど摩崖(磨崖)像である。4世紀なかばからつくられた敦煌(とんこう)千仏洞をはじめ麦積山(ばくせきざん)、雲崗(うんこう)、竜門など、おもに北魏(ほくぎ)から隋唐(ずいとう)代の石窟が知られている。日本では遺例の多くが平安後期につくられたが、地質的に新しいため良質の材が得られず、磨崖仏を含めて石仏が少ない。代表的な磨崖仏は大分県臼杵(うすき)石仏で、凝灰岩に高肉彫りで数十躯(く)の像をつくりあげている。また奈良の笠置(かさぎ)山には花崗(かこう)岩に線刻したものもあり、栃木県の大谷(おおや)磨崖仏の場合などは、ミソとよばれる軟質部のある大谷石に彫り付けてあり、なかにはほとんど全面を土で覆って、細部を塑造(そぞう)のように表現したものもある。
[佐藤昭夫]
『水尾比呂志他著『日本の石仏』(1970・鹿島研究所出版会)』▽『久野健著『日本の美術36 石仏』(1975・小学館)』▽『西井稔著『磨崖仏たちの微笑み――磨崖仏の宝庫 大足の石窟(中国・四川省)を訪ねて』(2002・新生出版、ディーディーエヌ発売)』
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磨崖仏
まがいぶつ
岩壁に直接彫られた仏像。インド,中央アジア,中国では早くから造られており,朝鮮にもすぐれた遺例が多い。日本で紀年の明らかな最も早い例は,通常は宝亀9 (778) 年の宇智川 (奈良) の崖に『涅槃経』とともに彫られた観音像とされている。また平安時代後期頃に造られた大谷石仏群 (栃木) ,臼杵石仏 (大分) などの遺例には,浮彫の表面に漆喰を施し,さらに彩色を加えている。なお鎌倉時代以降は,概して規模が小さくなった。
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デジタル大辞泉
「磨崖仏」の意味・読み・例文・類語
まがい‐ぶつ【磨崖仏/摩崖仏】
自然の懸崖または大石に仏像を彫刻したもの。インド・中国に多く、日本では平安時代に製作された大分県臼杵・栃木県大谷のものが有名。→臼杵石仏 →大谷の石仏
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まがいぶつ【磨崖仏】
露出した岩層面に彫刻(浮彫,線刻)された石仏。独立した石材に彫刻された石仏に対していい,また石窟をうがってその中に彫刻されたものを石窟仏と呼び,これと区別することがある。普通,表面に彩色を施す。インド,中国,朝鮮に古くから遺品があり,アフガニスタンのバーミヤーンのものは有名である。日本では奈良時代以後の遺品が知られ,平安・鎌倉時代に各地で製作された。おもな遺品に奈良県宇智川観音像,栃木県大谷磨崖仏,大分県臼杵磨崖仏などがある。
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世界大百科事典内の磨崖仏の言及
【石仏】より
…石造の仏像。彫刻される石の形状から,移動できる独立した石材に彫られた石仏,露出した岩層面に彫られた磨崖仏,岩層に窟をうがってその中に彫られた石窟仏の3種に大別される。彫出の状態からは,線刻,薄肉彫(レリーフ),半肉彫,高肉彫(側面をほとんど彫出したもの),丸彫に分けられる。…
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