朝日日本歴史人物事典 「清元梅吉(2代)」の解説
清元梅吉(2代)
生年:安政1.5.20(1854.6.15)
幕末明治期の清元節の三味線方。江戸神田(または京橋)生まれ。本名松原清吉。初代梅吉の高弟ではじめ梅三郎といった。慶応1(1865)年10月江戸中村座にわずか12歳で初舞台を勤め,明治3(1870)年2代目梅吉を襲名。「名家真相録」(『演芸画報』1908年12月号)や3代目梅吉の自伝『想ひだすまゝ』(1937)からひく明治17年襲名説は誤り。「三千歳」「雁金」「隅田川」「青海波」「曾我菊」など明治の代表作を作曲,4・5代目清元延寿太夫の立三味線を弾き,梅吉の名を世に高めた。妻は4代目延寿太夫の長女はる。実子はのちに清元流(俗に梅吉派)を樹立した3代目梅吉。
(竹内有一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報