深根輔仁(読み)ふかねのすけひと

改訂新版 世界大百科事典 「深根輔仁」の意味・わかりやすい解説

深根輔仁 (ふかねのすけひと)

平安初期の医家。生没年不詳。渡来人系蜂田薬師(はちだのくすし)の一族。蜂田薬師は欽明天皇のころ百済を経由して渡来した呉の孫権の末孫と称する医家の一族で,和泉国大鳥郡蜂田郷に住んだので蜂田とし,職業の医をもって薬師とした。この家系から深根宿禰の姓を賜る者が出て分系した。輔仁医学を典薬頭菅原行貞に学び,左衛門医師より権医博士,大医博士に累進した。著書に,日本最初の薬名字書《本草和名(ほんぞうわみよう)》をはじめ,《養生鈔》《掌中要方》などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「深根輔仁」の意味・わかりやすい解説

深根輔仁
ふかねすけひと

生没年不詳。平安中期、醍醐(だいご)天皇に仕えた世襲侍医。医博士(いはかせ)。本姓は蜂田薬師(はちたのくすし)。深根の姓は祖が賜り、深江ともいう。918年(延喜18)勅命撰進(せんしん)した最古の広範な薬物辞書『本草和名(ほんぞうわみょう)』2巻の著者。本書は唐以前の30余書を引用、目次の配列は唐の『新修本草』に拠(よ)り、1025種の品目は本草薬物および玉石禽獣(きんじゅう)虫魚、穀類など9類に分け、薬物の漢名の下に万葉仮名で和名の対訳を施し、出典を考証した古代の重要文献である。

[根本曽代子]

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朝日日本歴史人物事典 「深根輔仁」の解説

深根輔仁

生年:生没年不詳
平安中期の医者。欽明天皇のころ百済を経由し渡来した呉の孫権の末裔と称する医家の一族。和泉国(大阪府)大鳥郡蜂田郷に住んだので蜂田,医を業としたので薬師を名乗ったが,仁明天皇の承和1(834)年に深根宿禰の姓を賜った家が出て分系した。輔仁は深根宗継を祖父とし,典薬頭菅原行貞の門徒として右衛門医師より権医博士,大医博士に累進し,名医として知られた。延喜18(918)年ごろわが国最古の漢和薬名辞書『本草和名』を選している。<著作>『掌中要方』『養生鈔』<参考文献>石原明「蜂田薬師の家系に関する考証」(『医譚』復刊17号),新村拓『古代医療官人制の研究』

(宗田一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「深根輔仁」の解説

深根輔仁 ふかねの-すけひと

?-? 平安時代中期の医師。
深根宗継(むねつぐ)の孫。蜂田薬師(はちだのくすし)の一族。代々朝廷につかえ,右衛門医師から権(ごんの)医博士,侍医となる。延喜(えんぎ)18年(918)ごろ日本最初の薬名辞書「本草和名(ほんぞうわみょう)」をあらわした。

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世界大百科事典(旧版)内の深根輔仁の言及

【医学】より

…これは,唐の《新修本草》に従い,254種の動・植・鉱物性薬の調製,保存および適応を記したものである。いま一つ,よく知られたものとして,深根輔仁(ふかねのすけひと)の《本草和名(ほんぞうわみよう)》(918)がある。これは,鉱物性薬81種,植物性薬509種,動物性薬182種の和名を収録したものである。…

【本草和名】より

…平安前期にできた日本最初の漢和薬名辞書。大医博士深根輔仁(ふかねのすけひと)が醍醐天皇の勅命をうけて延喜年間(901‐923)に著した。《和名本草》《新抄本草》などの書名のほか,《輔仁本草(ほにんほんぞう)》の名もあった。…

※「深根輔仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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