正宗寺(読み)しようじゆうじ

日本歴史地名大系 「正宗寺」の解説

正宗寺
しようじゆうじ

[現在地名]常陸太田市増井町

源氏げんじ川を渡ると山門が見え、丘の麓に庫裏と本堂がある。臨済宗円覚寺派で万秀山と号する。本尊は十一面観音。臨済宗の名刹

正宗寺建立以前にこの地には勝楽しようらく寺と正法しようぼう院があった。勝楽寺は「新編常陸国誌」によると大瑞山と号し、正宗寺仏殿の西にあった。寺説によると鎮守府将軍平良将が延長元年(九二三)建立し、初めは増井寺と称し、律宗であった。源頼義・義家父子が奥州出兵の際康平五年(一〇六二)ここに陣を張り、京都明王院快季と祐弁の二人の僧に賊軍調伏の祈祷をさせ、凱旋の時また立寄って増井寺を復興、大瑞山勝楽寺と改め、密宗の寺とした。

正宗寺
しようじゆうじ

[現在地名]松山市末広

城南の末広すえひろ町にある。天竜山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦如来開山の密山は水戸の人、伊勢国桑名にいて城主松平定行の松山転封に従い来錫、定行は彼のためにこの寺を建てて禅の修養道場としたという。

境内に子規しき堂があり、正宗寺は子規堂のある寺として観光客を集めている。正岡子規が少年時代を送ったみなと町四丁目一番地の邸宅の一部がここに移築されたものであるが、その後二度火災にかかり、現在のものはもとの間取りを模して戦後に復興したものである。

正宗寺
しようじゆうじ

[現在地名]八百津町上飯田

上飯田の寺洞かみいいだのてらぼらにあり、曹源山と号し、臨済宗妙心寺派、本尊釈迦如来。創建は不詳だが、伝えによると創建当初は天台宗であったという。のち鎌倉建長寺末となり、林を開基とする大伽藍であったという。「濃陽志略」によれば、のち土岐家範・同頼賢両家が西浦を請じて宝徳元年(一四四九)中興開山し、これより妙心寺派となった。盛時には寺領一〇〇石余、塔頭一三ヵ院があったが、その後火災にあい殿堂みな焼失した。

正宗寺
しようしゆうじ

[現在地名]厚岸郡浜中町霧多布東四条

霧多布きりたつぷ市街にある寺院。最上山と号し、臨済宗妙心寺派。大本山から下付された釈迦如来が本尊。さかき曹渓そうけい寺を開山した梅渓宗慎は、戸口が急増している霧多布市街に布教活動を行っていたが、遠隔のため布教が思うように任せず、明治一九年(一八八六)説教所設置を出願して許可を得た。

正宗寺
しようじゆじ

[現在地名]豊橋市嵩山町

嵩山と号し、臨済宗。本尊釈迦如来。寺伝によると、永仁年中(一二九三―九九)南宋の日顔によって創立室町時代には八名郡南部、宝飯郡渥美郡の一部、遠江国引佐郡に末寺六〇〇寺を数えたという。天正一七年(一五八九)九月八日の嵩山正宗寺領検地帳(正宗寺蔵)によると、田四町三歩を有する。地名には、くろ口・おそね・かわら田・のそい・足田・あらき・御所のうしろ・かめい・かく庵などがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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