南宋(読み)なんそう

精選版 日本国語大辞典 「南宋」の意味・読み・例文・類語

なん‐そう【南宋】

中国王朝一一二七‐一二七九)。靖康の変で北宋宗室が金に連れ去られた後、徽宗の子、康王(高宗)が宋朝再建杭州臨安府を行在とした。淮水を境として金と接したが、金に代わった元に滅ぼされた。

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デジタル大辞泉 「南宋」の意味・読み・例文・類語

なん‐そう【南宋】

中国の国名靖康せいこうの変の皇帝らがに連れ去られた後、1127年、高宗江南に拠り、臨安を都として再建した王朝。1279年、金に代わったに滅ぼされた。

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百科事典マイペディア 「南宋」の意味・わかりやすい解説

南宋【なんそう】

中国の統一王朝。靖康(せいこう)の変直後の1127年,高宗によって再建されて,1279年元の世祖に滅ぼされるまでをいう。
→関連項目戯文杭州高宗(宋)臨安

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改訂新版 世界大百科事典 「南宋」の意味・わかりやすい解説

南宋 (なんそう)
Nán Sòng

1127-1279年間の中国王朝。金に滅ぼされた宋朝は,宗室の高宗によってまもなく再建されたが,金軍に追われて南遷し,都を杭州に定め臨安と称した。1141年(紹興11),宋・金の和議が成り,華北は金の領域定まり,ここに南北朝時代が再現した。南宋の領土は半減したが,江南の穀倉地帯をかかえて北宋をしのぐ繁栄をみた。しかし政治が乱れ経済の混乱を招いて国力を弱め,元の侵入をうけて滅亡した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「南宋」の解説

南宋(なんそう)
Nansong

1127~1279

靖康(せいこう)の変の直後,高宗が宋朝を再建し,宋州→揚州杭州と遷都し,と対峙して153年間続いたが,元の世祖クビライの軍に滅ぼされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「南宋」の解説

南宋
なんそう

1127〜1279
宋の後半期の呼称
金の侵入(靖康の変,1126〜27)によって北宋の一族(高宋)が江南の杭州(臨安)に都を移した以後をいう。その後も金の圧迫に悩むが,主戦派を抑え,和平の道を選び,金と金君宋臣の和議を結ぶ(1142)。淮水が国境となって国土は半減したが,江南を開発し,経済的には繁栄した。1279年,侵攻してきたフビライの元軍に厓山の戦いで破れ,南宋は滅んだ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南宋」の解説

南宋
なんそう

宋(そう)2

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南宋」の意味・わかりやすい解説

南宋
なんそう

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世界大百科事典(旧版)内の南宋の言及

【宋】より

…中国に960年から1279年まで存在した王朝。1127年(靖康2)の靖康の変によっていったん滅亡したので,それ以前を北宋,以後の南遷して杭州に都した時期を南宋という。
【政治過程】
 後周世宗の武将であった趙匡胤(ちようきよういん)は,世宗の没後,部下の将兵に擁立されて皇帝となり,宋朝を開いた(960)。…

※「南宋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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