日本歴史地名大系 「楠」の解説
楠
くす
室町時代伊勢湾の諸港には「警固」と称する海の関が設けられていたが、楠もその一つであった。「警固」には「本警固」と文明五年(一四七三)以降に設置されたと考えられる「新警固」とがあったが、いずれも伊勢湾を航行する舟から「警固役」と称する関銭を徴収した。設置者は国人・守護被官などで、伊勢神宮はしばしば庁宣を出して「新警固」の停止を求めている。文明一四年五月二〇日の外宮一禰宜度会朝敦の書状(内宮引付)に「先日亀山より楠警固も自神宮停止之由聞候、さ様候哉と被尋之間、その返事ニ、平尾・楠・桑名三ケ所之事ハ、本之警固之事候間、不申之由返事申候処、楠分とて又可出札之由被申之、其謂相尋候ヘハ、亀山之領豊田と申在所を守護代方ヘ押也、さ候間、其替ニ楠を押領候なり、然共楠警固代々守護知行之事候之間、於于今札を出之処、楠当知行とて又二重ニ新儀被申候間、(下略)」とあって、楠は本警固として守護の支配下に置かれていたが、この時、一色氏の守護代石河直清が亀山の関氏の所領を押領したことにより、これに対抗して関氏がこの地を押えたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報