桑都日記(読み)そうとにつき

日本歴史地名大系 「桑都日記」の解説

桑都日記
そうとにつき

続編四二巻五〇冊 塩野適斎(轍)

成立 正編文政一〇年、続編天保四年

原本 国立公文書館内閣文庫(自筆献上本)

写本 東北大学狩野文庫

解説 八王子地域の代表的な史書。著者塩野適斎は八王子千人同心組頭の家に生れ、同じ千人同心の塩野家に養子に入った。文化一一年から「新編武蔵風土記稿」の編纂に参加し、多摩・高麗秩父三郡を踏査し、その経験をもとに文政七年以降、それまで調査・蒐集してきた八王子地域の歴史資料を整理し、まとめたのが本書である。正編は天正一〇年から文政七年までの編年体通史の体裁をとり、八王子千人同心の幕府に対する忠勤を明らかにし、その地位向上をはかるという意図があったとされている。一方続編は正編の遺漏を補い、千人同心の祖が川中島の合戦で戦功を立てたことを意識し、文禄四年から始まっている。続編はさらに秩父・高麗両郡の紀行も収録している。本書は幕府にも献上された。

活字本 昭和四七年(続編)・四八年(正編)

桑都日記
そうとにつき

四二巻五〇冊 塩野適斎著

解説 塩野適斎は八王子千人同心組頭川西家に生れ、同じ千人同心組頭塩野家の養子となった。武蔵八王子地方の歴史を、千人同心を中心に旧家・名主家に伝わる文書、記録、古老からの聞書により、天正一〇年から文政七年まで一四三年間の事件を編年体に編纂して解説を加えた。桑都とは八王子のことである。適斎が編纂した動機はある事件により組頭から平同心に格下げされたことで、謹慎中に著述に専念し、とかく冷遇されがちな八王子千人同心の幕府に対する忠勤の跡を明らかにすることによって、地位の向上を意図したものといわれている。日光勤番の記事は、近世日光山災害史研究に不可欠な史料である。

活字本 昭和四八年刊

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報