本庄繁(読み)ホンジョウシゲル

デジタル大辞泉 「本庄繁」の意味・読み・例文・類語

ほんじょう‐しげる〔ホンジヤウ‐〕【本庄繁】

[1876~1945]陸軍軍人兵庫の生まれ。大将男爵関東軍司令官、侍従武官長、枢密顧問官満州事変勃発時の関東軍司令官で、満州国建国にも関与した。敗戦後自決遺稿に「本庄日記」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本庄繁」の意味・わかりやすい解説

本庄繁
ほんじょうしげる
(1876―1945)

大正・昭和期の陸軍軍人。明治9年5月10日兵庫県生まれ。陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期卒業。日露戦争には中隊長として参加、負傷。陸軍大学校教官、参謀本部支那(しな)課長などを経たのち、シベリア出兵に参加。1921~1924年(大正10~13)張作霖(ちょうさくりん)軍事顧問。1931年(昭和6)8月関東軍司令官となり、石原莞爾(いしわらかんじ)ら参謀の柳条湖(りゅうじょうこ)事件以後の軍事行動拡大を承認、錦州(きんしゅう)作戦などを指揮する一方、奉天(ほうてん)親日政権樹立工作や満蒙(まんもう)独立工作を積極的に行った(「満蒙共和国統治大綱案」「満蒙自由国家成立案大綱」を作成)。1932年8月軍事参議官を経て、1933年侍従武官長、大将。二・二六事件後の「粛軍人事」で予備役に編入される。1938年傷兵保護院(1939年軍事保護院と改称)総裁、1945年5月枢密顧問官。敗戦後昭和20年11月20日自決した。

[山田 朗]

『『本庄日記』(1967・原書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本庄繁」の意味・わかりやすい解説

本庄繁
ほんじょうしげる

[生]1876.5.10. 兵庫
[没]1945.11.20. 東京
陸軍軍人。 1897年陸軍士官学校卒業。 1904年歩兵第 20連隊中隊長 (大尉) として,日露戦争に出征して戦傷。 07年陸軍大学校卒業,参謀本部員として中国関係を担当,中国通として,日本軍のシベリア,満州,華北方面への進出と作戦の指導にあたった。 19年歩兵第 11連隊長 (大佐) としてシベリアに出征。 21年張作霖軍事顧問,31年関東軍司令官 (中将) に就任。同年満州事変に突入。その後軍事参議官,侍従武官長を歴任後,33年大将,35年男爵。予備役 (1936) 後,傷兵保護院総裁,枢密顧問官などをつとめた。第2次世界大戦後自決。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「本庄繁」の解説

本庄繁
ほんじょうしげる

1876.5.10~1945.11.20

大正~昭和前期の軍人。陸軍大将。兵庫県出身。陸軍士官学校(9期)・陸軍大学校卒。参謀本部支那課勤務,北京・上海駐在,張作霖の軍事顧問などを歴任し,陸軍の中国通として知られる。1928年(昭和3)第10師団長,31年関東軍司令官となり,満州事変にも関与。33年侍従武官長となり,2・26事件後に予備役に編入。その後,傷兵保護院総裁・枢密顧問官を務め,第2次大戦後自決した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本庄繁」の解説

本庄繁 ほんじょう-しげる

1876-1945 明治-昭和時代前期の軍人。
明治9年5月10日生まれ。大正10年張作霖(ちょう-さくりん)の軍事顧問。昭和6年関東軍司令官となり,満州事変で指揮をとる。軍事参議官をへて,8年侍従武官長。陸軍大将。敗戦後の昭和20年11月20日自決した。70歳。兵庫県出身。陸軍大学校卒。遺稿に「本庄日記」。

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