本妙寺(読み)ホンミョウジ

デジタル大辞泉 「本妙寺」の意味・読み・例文・類語

ほんみょう‐じ〔ホンメウ‐〕【本妙寺】

熊本市にある日蓮宗の寺。山号は、発星山。天正13年(1585)加藤清正大坂創建。開山は日真。清正が肥後を領したとき熊本城内に移し、死後現在地に移転清正公びょうがある。

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精選版 日本国語大辞典 「本妙寺」の意味・読み・例文・類語

ほんみょう‐じ ホンメウ‥【本妙寺】

熊本市花園にある日蓮宗の寺。山号は発星(ほっしょう)山。天正一三年(一五八五)加藤清正が父清忠追福のため大坂に創建。開山は日真。同一六年転封により熊本城内に移され、清正没後現在地に建立。寺内に清正公廟(びょう)がある。お清正(せいしょう)公さん。

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日本歴史地名大系 「本妙寺」の解説

本妙寺
ほんみようじ

[現在地名]熊本市花園四丁目

南流する井芹いせり川の東、本妙寺山(二一二メートル)中腹にあり、発星山と号し、日蓮宗、本尊宗祖奠定大曼荼羅。「国誌」の中尾なかお村の項に「法華宗京本国寺末寺ナリ」とあり、山号は中尾山ともいい、初めは法性山とも金峰山とも号したという。天正一三年(一五八五)加藤清正は父清忠の冥福を祈り、日真を招き大坂に本妙寺を建立。同一六年清正の肥後国入部に従い、日真は熊本城内の天台旧跡三宝院に止宿、のち慶長五年(一六〇〇)大坂の本妙寺をここに移し、山号も法性山から法皇山と改めたという。

本妙寺
ほんみようじ

[現在地名]宇多津町 西町中

市街地西端に所在。法華宗本門流、鳳凰山弘教院と号し、本尊は日蓮自筆と伝える曼荼羅。宝徳四年(一四五二)京都本能ほんのう寺日隆が弘経院と称していた法華堂に寺号を授与して開山。同二年二月下旬日隆の定めた弘経院法度定書が当寺にあり、讃岐においては、鎌倉末期に創建された高瀬の本門たかせのほんもん(現三豊郡三野町)に続く日蓮宗寺院で、教線拡大の布石となるものであった。応仁元年(一四六七)四月三日本能寺日明・摂津尼崎あまがさきの本興寺日与の定めた定式には本妙寺の名が載る。享禄二年(一五二九)正月二八日の安富元保、同年七月二日の同政保の寺中諸課役を免除するとの判物は宇足津法華堂に宛てられているが、天文一〇年(一五四一)七月一七日の、篠原盛家が安富氏折紙のごとく諸課役を差置くとの書状は鳳凰山本妙寺に宛てられており、先の判物を安堵している(以上本妙寺文書)

本妙寺
ほんみようじ

[現在地名]長岡市日赤町三丁目

大工だいく町の南端にあり、東は法蔵ほうぞう寺に隣接し、西は信濃川に近い。法華宗陣門流、長秋山と号する。慶長一二年(一六〇七)三条本成ほんじよう寺の僧日楽が椿沢つばきざわ(現見附市)に草庵を開いたのが当寺の草創という。二世日勝のとき長岡町上寺かみてら町に移り、万治三年(一六六〇)藩主より信濃川の土堤に近い当地に六千坪の敷地をもらって移転したという。

本妙寺
ほんみようじ

[現在地名]八幡市八幡城ノ内

じよううちの中ほど、南北の町道より西のおとこ山山裾にある。山号は久遠山、法華宗(真門流)。本尊三宝尊・日蓮上人像。本隆ほんりゆう(現京都市上京区)の日雄を開山とする。建立願主は竹内伊予守という。二世日門は天正七年(一五七九)五月の安土宗論に敗れ、のち刑死したという(綴喜郡誌)

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改訂新版 世界大百科事典 「本妙寺」の意味・わかりやすい解説

本妙寺 (ほんみょうじ)

熊本市西区にある日蓮宗の寺。山号は発星山(ほつしようざん)。肥後熊本の領主加藤清正の廟所,〈清正公(せいしよこ)さん〉の名で知られている。1585年(天正13)清正が大坂に創建,1600年(慶長5)新たに築かれた熊本城のなかに移転。11年清正は没して熊本西郊中尾山に葬られ,廟を造営して浄池廟と称した。1614年熊本城内の本妙寺が焼亡したのを機に浄池廟のかたわらに移建されたのが現在の本妙寺である。加藤家改易ののち新領主細川氏も崇敬し,寺領400石を給した。この間,後陽成天皇勅願寺となり,永代紫衣を勅許され,また京都六条本圀寺門流の九州総本寺に列し,領内上下の清正崇敬は清正公信仰に発展,西日本一円に伝播し,近世庶民信仰の一中心ともなった。明治維新に際し一時神祭となったが,やがて旧に復した。《日本紀竟宴和歌》(重要文化財)などをはじめ,加藤・細川両家関係の文化財を多数蔵する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本妙寺」の意味・わかりやすい解説

本妙寺
ほんみょうじ

熊本市西区花園(はなぞの)にある日蓮(にちれん)宗の寺。発星山と号する。本尊は宗祖奠定(てんてい)大曼荼羅(まんだら)。1585年(天正13)加藤清正が父清忠(きよただ)の冥福(めいふく)を祈り、日真(にっしん)を招き大坂に建立。清正が肥後を領したとき、寺領を熊本城内に移し、さらに清正没後現在の地に移り、清正の菩提(ぼだい)寺となすとともに、日蓮宗六条門流九州総本山となった。境内には本堂のほか加藤清正侯廟(びょう)があり、清正の法号から浄池(じょうち)廟ともよばれている。寺宝のうち、細川斎慈(なりしげ)寄進の短刀、宗尊(むねたか)親王作『日本紀竟宴(にほんぎきょうえん)和歌』二巻は国の重要文化財。また、刀剣(銘九州肥後同田貫藤原正国)、短刀(銘備前長船(おさふね)祐定)、清正拵網代鞘(こしらえあじろさや)の3点は県の重要文化財に指定されている。

[田村晃祐]


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デジタル大辞泉プラス 「本妙寺」の解説

本妙寺

熊本県熊本市西区にある寺院。「肥後本妙寺」ともする。日蓮宗六条門流。山号は発星(ほっしょう)山。加藤清正が父の菩提を弔うため、1585年に摂津(大阪)に建立した寺が起源。境内には清正の廟もあり、地元では「清正公(せいしょこ)さん」とも呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の本妙寺の言及

【清正公信仰】より

…肥後熊本の領主で熱心な法華の信者であった加藤清正を〈清正公(せいしよこ)さん〉と奉称し,所願成就を祈る信仰。この信仰は地域的には清正の旧領で,その廟所(びようしよ)(本妙寺)のある熊本を中心に九州一円に広がる宗派を超越した庶民信仰としてみられ,教団的には日蓮宗旧六条門流寺院を中心に全国的に分布している。この信仰の成立過程には,清正が肥後にはじめて法華信仰を導入した人物として教団的に尊崇されたこと,治水,干拓などにしめされた治世の名君として敬慕されたこと,さらに家系断絶に対する庶民的同情等がその背景にあり,同時に,その廟所である本妙寺が清正の創建以来祈禱寺としての性格を持続していたことによる。…

※「本妙寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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