春日山古墳群(読み)かすがやまこふんぐん

日本歴史地名大系 「春日山古墳群」の解説

春日山古墳群
かすがやまこふんぐん

[現在地名]大津市真野谷口町

曼陀羅山まんだらやま古墳群と対峙するかのように、真野まの川南岸の低丘陵(通称春日山丘陵)に築かれた大規模な古墳群。昭和五三年(一九七八)の分布調査で、丘陵の尾根上を中心に総数一六七基の古墳が確認され、分布状況から七つの支群に分れる。二基の前方後円墳(E―一・E―一二号墳)を除いて、すべて円墳。E―一号墳(春日山古墳)全長約六五メートルの前方後円墳。墳丘は二段築成で北東―南西方向に主軸をもち、前方部先端があまり開かない形態をとる。E―一二号墳は当初直径約三〇メートルの円墳と考えていたが、平成元年(一九八九)の分布調査で全長五〇メートル前後の前方後円墳の可能性が指摘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「春日山古墳群」の解説

かすがやまこふんぐん【春日山古墳群】


滋賀県大津市真野谷口町にある古墳群。琵琶湖西岸堅田(かたた)地区背後の滋賀丘陵の先端部に位置し、約220基からなる湖西地方最大で古墳時代後期の古墳群。5世紀代に始まって6世紀後半に集中的に形成され、7世紀初頭に築造が終わったが、古墳群の中心をなす春日山古墳以外はほぼ6世紀後半の円墳である。古墳群が所在する地域は、和珥部臣(わにべのおみ)(壬申(じんしん)の乱で大海人皇子(おおあまのおうじ)側について活躍した豪族)、小野臣(おののおみ)、真野臣(まののおみ)など和邇(わに)氏につながる氏族の居住地で、彼らとの関連が強いと考えられる古墳群である。古墳は6群に分けられ、これまでE支群と呼ばれてきた1群は23基の古墳からなるが、5世紀代の全長65mの前方後円墳である春日山古墳に始まって、2基の大型円墳が築造され、2小群に分かれると、6世紀後半に横穴式石室墳がこの2小群に継続して造られ、新たに1小群が誕生するという推移を見せる春日山古墳群における中枢群である。埋葬の形式は、横穴式石室や箱式石棺、木棺直葬とバラエティに富んでいる。1974年(昭和49)に国の史跡に指定された。JR湖西線堅田駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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