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彫刻家。東京日本橋に生まれる。本名亀吉。旧姓は志村。母の実家戸張家をつぐ。1901年アメリカに渡り,ニューヨークのナショナル・アカデミーなどで絵画を学び荻原守衛を知る。06年病気のため帰国。洋風挿絵で活躍したが,太平洋画会研究所に入り,荻原の刺激で彫刻に転じた。はじめ文展に出品,受賞したが,16年再興日本美術院彫刻部に転じ,同人となった。肉付けの美しい抒情的な作風で,大正期彫刻の異色ある存在である。代表作に《足芸》《煌(きら)めく嫉妬》があり,創作版画に《玉乗り》などがある。
執筆者:三木 多聞
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彫刻家、版画家。東京生まれ。本名亀吉、旧姓志村。母の生家戸張家を継ぐ。1901年(明治34)洋画研究のため渡米、海洋画家リチャーズの学僕となったが、06年病のため帰国、洋風挿絵の普及に努めたりした。翌年太平洋画会研究所に入ったが、滞米中から親交のあった荻原守衛(おぎわらもりえ)の帰国後、その刺激で彫刻に転じた。10年文展に入選、受賞したりしたが、16年(大正5)日本美術院彫刻部に移り、翌年同人になった。光と影を知的に取り入れた流動的で美しい肉づけをもち、初期のロマンチックな作風から晩年はニュアンスに富んだ作風に移行した。中原悌二郎(ていじろう)とともに大正期彫刻界の異色ある存在であり、病弱の身で水彩画会(1913)、日本創作版画協会(1918)の創立に参加するなど、多方面に才能を発揮した。代表作に彫刻の『足芸』『虚無』『煌(きら)めく嫉妬(しっと)』など、版画の『玉乗り』『千住(せんじゅ)大橋の雨』など。
[三木多聞]
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