愛南(読み)あいなん

改訂新版 世界大百科事典 「愛南」の意味・わかりやすい解説

愛南[町] (あいなん)

愛媛県南西端,南宇和郡の町。2004年10月一本松(いつぽんまつ),城辺(じようへん),西海(にしうみ),御荘(みしよう)の4町と内海(うちうみ)村が合体して成立した。人口2万4061(2010)。

愛南町東端の旧町。南宇和郡所属。人口4256(2000)。宿毛(すくも)湾に注ぐ松田川の支流篠川上流域に位置し,篠川を境として東は高知県に接する。中央部に小盆地があるほかは山地が広く占める。農林業が基幹産業で,米作のほかかんきつ類の栽培,和牛飼育,養豚,養鶏などが行われる。北部の篠山山腹国有の美林地帯で,篠山県立自然公園に指定され,山岳信仰で名高い篠山神社がある。県境正木には戸たてずの庄屋として伝説の残る蕨岡家がある。増田地の安養寺には花とり踊が伝わる。国道56号線が通じる。

愛南町北西端の旧村。南宇和郡所属。人口2425(2000)。宇和海南部に突出した由良半島の内海側に面した海岸の村で,低地に乏しく,リアス海岸の小湾頭に集落が点在する。中心集落は柏。かつて人口1万人の村であったが,1948年南内海村を分村した。農漁業が基幹産業で,出入りに富む長い海岸線を生かして真珠稚・母貝,ハマチ養殖が盛んである。海域の汚染が少ないため,真珠稚貝採苗は全国有数の生産地で,養殖漁業の振興で過疎化対策を行っている。かんきつ類の栽培も行われる。沿岸は足摺宇和海国立公園に属し,由良岬は磯釣で有名。国道56号線が通じる。

愛南町中部の旧町。南宇和郡所属。人口9728(2000)。太平洋に面した宿毛湾の北岸に位置し,中央部を流れる僧都(そうづ)川沿いに沖積低地があるほかは山地が大部分を占める。中心集落の城辺は中世末期に御荘殿勧修寺氏の本城であった常盤城(亀城ともいう)があった地で,城跡には諏訪神社がある。現在は国道56号線が通じ,南予地方の商業中心をなす。南部沿岸の東外海(ひがしそとうみ)地区の深浦漁港は県下最大のカツオ釣りの基地で,鰹節や製氷の工場があり,ハマチ,真珠の養殖も盛んである。僧都川上・中流域ではかんきつ類の栽培や林業が行われる。

愛南町南西端の旧町。南宇和郡所属。人口3266(2000)。宇和海南部に突出した半島部と鹿(か)島,横島などの島嶼(とうしよ)からなる。海岸線は屈曲に富んだリアス海岸で,中央には権現山(491m)があり,全域が急傾斜地となっている。ハマチ,真珠の養殖,カツオの一本釣りを主とした漁業を主産業とするが,観光開発も進む。中心集落は半島基部にある船越。半島北西岸にある外泊(そとどまり)は冬の季節風を防ぐため高い石垣で囲まれ,石垣集落として著名。北西海上に浮かぶ鹿島は江戸時代,宇和島藩主の狩場で,現在は野生のサル,シカが生息し,亜熱帯植物が繁茂する。島嶼部をはじめ町域の大部分は足摺宇和海国立公園に含まれ,海域は宇和海海中公園にもなっている。

愛南町西部の旧町。南宇和郡所属。人口9656(2000)。北部には山地が広がり,西は宇和海に面するがリアス海岸をなす御荘湾が深く湾入,同湾に注ぐ僧都川沿いに平野が開ける。河口の段丘上にある平城(ひらじよう)が中心集落で,四国八十八ヵ所40番札所の観自在寺の門前町として開けた地である。当町域一帯は古くは延暦寺領観自在寺荘であったが,観自在寺が開発した寺領を,当時本寺であった延暦寺に寄進して荘園となったものとみられる。南北朝期には青蓮院門跡の管掌下に置かれ,尊称して〈御荘〉と呼んだのが以後通称となり,近世宇和島藩の地方十組のうちにも御荘組がある。真珠,ハマチの養殖,甘夏栽培が盛んで,御荘湾北岸の平山は県下真珠養殖の発祥地,南岸の中浦は古くからの漁港である。町域の一部は足摺宇和海国立公園に含まれ,国道56号線が通じる。
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