恵良村(読み)えらむら

日本歴史地名大系 「恵良村」の解説

恵良村
えらむら

[現在地名]九重町恵良 北恵良きたえら南恵良みなみえら

現町域の北部、青野あおや山の北西麓、北流する玖珠川の右岸にあり、北を松木まつぎ川が西流する。中世は飯田はんだ郷の内としてみえる。「薩藩旧記雑録」の天正一五年(一五八七)正月条に、玖珠郡にいる輩がしきりに島津家の守兵を要請するので、川上久信・町田久倍・新納忠基を派遣し、直ちに野上岐部きべ・恵良・切加布(伐株、玖珠城とみられる)を麾下に入れたとある。恵良氏の拠点とした恵良城があり、たか城ともいい、木戸きど館屋敷たてやしきなどの地名が残る。

恵良村
えらむら

[現在地名]野津原町野津原

野津原村ほん町の東に位置する。野津原宿の建設にあたって、本町から肥後街道が直線的に東西に通された。しかし当村は本町よりも小高い尾根上にあったため、宿場町に発展しなかった。東端は七瀬ななせ川河畔に下って西方の野津原村しん町に相対するように道を南に向けた後、七瀬川下流の渡しに向かう。「肥後国誌」によると高二六五石余、小屋鶴こやづる村・杉末村などの小村がある。続けて川畑村高五五石余が載る。「豊後国志」は野津原村の枝村とする。天保二年(一八三一)の「野津原手永略鑑」によれば庄屋がおり、惣高三二八石余、うち本方二六五石余、免は四ツ余、川畑村の本方五五石余、免は四ツ余。

恵良村
えらむら

[現在地名]竹田市吉田よしだ

玉来たまらい川の蛇行部にあり、北西は玉来村、南西は中尾なかお村。正保郷帳では矢倉やぐら郷に属し、田方一五石余・畑方三二石余。弘化物成帳では玉来組のうち、村位は下、免九ツ七分、田二九石余(二町一反余)・畑一五石余(三町三反余)・屋敷一石余(一反余)で、開田一斗余(九畝余)・開畑一石余(一町八反余)がある。

恵良村
えらむら

[現在地名]荻町恵良原えらはる

文禄二年(一五九三)閏九月一三日の田原紹忍知行方目録(中川家文書)に「百弐十九石壱斗弐升 えら村」とある。正保・元禄・天保の各郷帳には村名がみえない。弘化物成帳では恵良原組のうち、村位は下、免四ツ、田二七石余(三町一反余)・畑九五石余(一二町三反余)・屋敷五石余(五反余)で、開田四斗余(二反余)・開畑三石余(七町四反余)がある。

恵良村
えらむら

[現在地名]真玉町 恵良

常盤ときわ村の北方にあり、恵良川が南流する。正保郷帳に村名がみえ、真玉庄に属し、田高三一石余・畑高二八石余で、茅山有、柴山有、日損所、新田有と記す。元禄郷帳では高七二石余。享保二年(一七一七)の延岡藩領知目録写(牧野家文書)に村名がみえ、延享四年(一七四七)延岡藩領郷村高帳(内藤家文書)では高六四石余、新田九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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